一言芳談 六十八
六十八
或云、故寂願房、所勞の時、敬仙房談じ申して云、在家のもの、流鏑馬(やぶさめ)ならす時は、さまざまに儀式作法をならべて習へども、まさしく其日にあたりて、すぐに射んとて、はたと馬を出しつる上は、相構へて射あてんと思ふ外は他事なきなり。其定(ぢやう)に日ごろは、後世の事、とかくこのみ習ひぬれども、いますでに病床にのぞみたり。他念なく念佛して往生せんと思ひ取り給ふべしと候ひしなり。
〇流鏑馬、馬上にて的をいる事なり。矢鏑馬の字。神社いさめの儀式なり。竹のみじかきに板を付て、馬をはしらせて、のりながら矢をはなつが儀式にて有也。
〇ならす、下ならしなり。
[やぶちゃん注:「寂願房」大橋氏注に『伝不詳。明遍の弟子。高野山に任した』とある。
「敬仙房」大橋氏注に『法然上人の弟子。常陸国真壁に住し、のち明遍に師事して、高野山に住した。』とある。Ⅱ・Ⅲに拠るが、Ⅰは既出の「敬佛房」とする。それよりも臨終に近い寂願房に、かく語る敬仙房、その折りの、二人の交感にこそ、私は本条の眼目はあると見る。
「いさめ」これは「諫(いさ)め」「禁(いさ)め」ではなく、神の心を「慰(いさ)め」(慰める)若しくは「勇め」(元気づける・活性化させる)の意。
「ならす」は「鳴らす」で、音を発して飛ぶ鏑矢を用いるため、かく言った。]
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