一言芳談 五十三
五十三
行仙房(ぎやうせんばう)云、身意(しんい)に作罪(つくるつみ)をば口業(くごふ)にてこそ懺悔(さんげ)すべきに、いたづらごとにひまをいるゝことよ。
〇いたづらごと、徒言と書くべし。益のなき物がたりの事なり。
龍舒居士云、口誦佛名、如吐珠玉。口宣教化、如放光明。口談無益、如嚼木屑。口好戲謔、如掉刀劍。口道穢語、如流蛆蟲。
[やぶちゃん注:「行仙房」Ⅱの大橋注によれば、平清盛の異母弟で平家滅亡後も生き延びた平頼盛の孫とする。『醍醐寺勝憲から小野流を、仁和寺仁隆から広沢流の法流を受けた』(真言宗二大流派の一つ小野流は醍醐寺を中心として庶民的伝播をターゲットに師資口伝を重視、同広沢流は仁和寺を中心として貴族的相承をなして経軌を尊重した)が、『のち聖光上人および禅勝上人の弟子となり、密教より念仏に転じた』とある。「聖光上人」は鎮西流の祖。聖光房弁長(しょうこうぼうべんちょう 応保二(一一六二)年~嘉禎四(一二三八)年)、禅勝上人も同じく法然の高弟。
「龍舒居士云……」以下、Ⅰの訓点を参考に書き下しておく。
龍舒居士云はく、「口に佛名を誦ふるは、珠玉を吐くがごとく、口に教化(きやうげ)を宣(の)ぶるは、光明を放つがごとし。口に無益を談ずるは、木屑(きくづ)を嚼(は)むがごとく、口に戲謔(ぎぎやく)を好むは、刀劍を掉(ふる)ふがごとし。口に穢語(ゑご)を道(い)ふは、蛆蟲(うじむし)を流すがごとし。」と。
「龍舒居士」は南宋の僧王日休(?~一一七三年)のこと。呼称は出身が龍舒(現在の安徽省舒城(じょじょう)であったことに由来する。
儒学に通じたが、後に浄土教に帰依、「浄土文(じょうどもん)」十二巻を編纂した(教学伝道研究センター編「浄土真宗聖典(注釈版)第二版」本願寺出版社に拠る)。]
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