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2013/01/12

生物學講話 丘淺次郎 第六章 詐欺 三 擬態~(1)

   三 擬 態

 以上述べた如く、動物には敵の眼を眩すために、色も形も他物に似たものが頗る多く、たゞ色だけが周圍の色に一致して居るものは、殆ど枚擧に遑ない程であるが、またその反對に周圍とは著しく色が違つてそのため、格段に眼立つて見える動物がないこともない。かやうなものは大抵昆蟲などの如き小形のもので、しかも味が惡いか、惡臭を放つか、毒があるか、針で螫すか、何か一角の護身の方法を具へて居る種類に限る。例へば蜂の如きはその一例で、家の軒に巣を造る普通の黄蜂でも、樹木の高い枝に大きな巣を拵へる熊蜂でも、身體には黄色と黑との入り交じつた著しい模樣があつて、遠方からでも直にその蜂であることが知れる。これは前に述べた種々の動物が、詐欺の手段によつて、相手の眼を眩すのと違つて、却つて敵の注意を引いて損である如くに思はれる。が、この場合には少し事情が違ふ。即ち蜂には鋭い針があつて、これに螫されると頗る痛いから、一度懲りた鳥は決して再びこれを捕へようとはせぬ。特に熊蜂の如き大きな蜂は螫すことも劇しくて、子供などは往々そのために死ぬことさへある。先年京都帝大の文科の先生達が山へ遠足に出掛け、途中に山蜂の巣を見附けて擲いた所が、數百疋の蜂が飛び出して攻め掛つたので皆々大に狼狽したとの記事が新開に出て居たが、豪い人々でも閉口する位であるから、大抵の動物がこれを敬して遠ざけるのは尤もである。そして敬して遠ざけられるためには、まづ以て他と容易く識別される必要があるが、著しい色彩を具へて居るのはそのためには頗る都合が宜しい。昆蟲などの如き小形の動物で、特に目立つやうな色のものは、多くはかやうな理屈で、生存上他と識別せられることを利益とする種類に限るやうである。

[やぶちゃん注:ここでは擬態の説明に入る前に、枕として実際の危険生物が持っている“Warning colouration”(「警戒色」の訳語で人口に膾炙しているが、よく考えると、「警戒」というのはおかしい。現在では生物学の訳語としては「警告色」が正しいとされている)についての解説が示される。次の段で、この話を事実を踏まえてベイツ擬態(後注する)が語り出されるのである。

「黄蜂」現在、通常「黄蜂」というと、昆虫綱膜翅(ハチ)細腰(ハチ)亜目スズメバチ上科スズメバチ科スズメバチ亜科 Vespinae に属するスズメバチ類(オオスズメバチは特に「大黄蜂」と言う)を総称する語であるが、ここで丘先生は「家の軒に巣を造る普通の」とおっしゃっておられるところから、私はこれをスズメバチ科アシナガバチ亜科 Polistinae に属するアシナガバチ類やスズメバチ亜科スズメバチ属キイロスズメバチ Vespa simillima xanthopteraに同定したいと思うのである。同様に先生の言っておられる「熊蜂」についても、現在の北海道から九州にかけて広く分布するミツバチ科クマバチ族クマバチ属クマバチ(キムネクマバチ)Xylocopa appendiculata circumvolans ではなく、これこそがかの最強のスズメバチであるスズメバチ亜科スズメバチ属オオスズメバチ Vespa mandarinia に同定するのである。これはいずれも「身體には黄色と黑との入り交じつた著しい模樣があ」ると丘先生が記述している点で、クマバチ Xylocopa appendiculata circumvolans には胸部に細かい黄色の毛が密生するが、これを私は勿論、誰も「黄色と黑との入り交じつた著しい模樣」と表現しないからである。更に言えば、実はオオスズメバチ Vespa mandarinia は地方によって「くまんばち」と呼称する。実際に私は鹿児島や富山の在の人がオオスズメバチ Vespa mandarinia を指して「クマンバチ」と呼称している場面に出逢ったことがある。これについて、ウィキの「クマバチ」には、『"クマ"とは動物の熊のほか、大きいもの強いものを修飾する語として用いられる。このため、日本各地の方言においてクマンバチという地域が多数あるが、クマンバチという語の指す対象は一つではなく、クマバチ・オオスズメバチ・マルハナバチ・ウシアブほかを指す、多様な含みを持つ語である。 ""は熊と蜂の橋渡しをする音便化用法であり、方言としても一般的な形である』とあり、クマバチ Xylocopa appendiculata circumvolansは『大型であるためにしばしば危険なハチだと解されることがあり、スズメバチとの混同がさらなる誤解を招いている。スズメバチのことを一名として「クマンバチ(熊蜂)」と呼ぶことがあり、これが誤解の原因のひとつと考えられる。花粉を集めるクマバチが全身を軟らかい毛で覆われているのに対して、虫を狩るスズメバチ類はほとんど無毛か粗い毛が生えるのみであり、体色も大型スズメバチの黄色と黒の縞とは全く異なるため外見上で取り違えることはまずない』。『かつて、少年・少女向けのアニメ「みつばちマーヤの冒険」において、蜜蜂の国を攻撃するクマンバチの絵がクマバチになっていたものがあったり、「昆虫物語みなしごハッチ」の』第三十二話『で略奪を尽くす集団・熊王らがクマバチであった。この様に、本種が凶暴で攻撃的な種であるとの誤解が多分に広まってしまっており、修正はなかなか困難な様子である』(この誤りは児童向け作品として重篤で致命的な誤りである)。『蜂類の特徴的な「ブーン」という羽音は、我々にとって「刺す蜂」を想像する危険音として記憶しやすく、特にスズメバチの羽音とクマバチの羽音は良く似た低音であるため、同様に危険な蜂として扱われやすい。クマバチは危険音を他の蜂類と共有することで、哺乳類や鳥類に捕食されたり巣を狙われたりするリスクを減らしている、という説もある』と記す(但し、最後の仮説には要出典要請が掛かっている)。因みに、クマバチがミツバチやミツバチの巣を襲うことはあり得ない。『体が大きく、羽音の印象が強烈なために獰猛な種類として扱われることが多いが、性質はきわめて温厚である。ひたすら花を求めて飛び回り、人間にはほとんど関心を示さない。オスは比較的行動的であるが、針が無いため刺すことはない。毒針を持つのはメスのみであり、メスは巣があることを知らずに巣に近づいたり、個体を脅かしたりすると刺すことがあるが、たとえ刺されても重症に至ることは少ない(アナフィラキシーショックは別)』とある。クマバチ、実は私は彼らをクマンバチと今も呼ぶのであるが、小学校の低学年の時、とある老生物学者の先生からこのことを私は教えて貰い、おしなべて昆虫が苦手な私は、このクマバチだけは怖いとは全く思わないのである。私が児童作品として重篤にして致命的、と言った理由はここにあるのである。なお、生物学者の丘先生が、そのような生物学的には誤った「黄蜂」(別種であるアシナガバチとキイロスズメバチを混称している点)や「熊蜂」(オオスズメバチの標準和名として正しくないものを用いている点)に疑義を抱かれる向きもあろうが、これは学術論文ではなく、一般大衆の生物の初学者に向けた読本としては、大正期の一般読者が正確にそれらの昆虫をイメージ出来る語を選ぶに若くはないのである。そういう点で、この謂いは瑕疵がないとも言えるように思われるのである。

「山蜂」スズメバチ亜科 Vespinae に属するスズメバチ類の別名。

「京都帝大の文科の先生達」「豪い人々」丘先生の中にもあったのであろう、東京帝大との学閥の対立及び文科の学術性への根深い猜疑が感じられて、何ともはや皮肉な表現ではある。しかし、面白い。]

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