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« 耳嚢 巻之六 感夢歌の事 | トップページ | 一言芳談 七十一 »

2013/01/21

西東三鬼句集「變身」 昭和三十(一九五五)年 一四三句

昭和三十(一九五五)年 一四三句

 

刈田照り赤き童女の一つまみ

 

藁塚作る朝日に笑ひまきちらし

 

荒るる潟鳰くつがへり冬日照る

 

つまずく山羊かえりみ走る枯野乙女

 

小赤旗ちぎれんばかり枯野工場

 

北國の意志の巖あり落葉す

 

聲なりし寒禽霧をつらぬき來(く)

 

冬潟の荒れにこぎ出で何を得る

 

冬日照農の埃のはげ頭

 

雪ちらほら古電柱は拔かず切る

 

風呂場寒し共に裸の油蟲

 

脚ちぢめ蠅死す人の大晦日

 

寒鮒黑し金魚昇天したるあと

 

眉と眼と間曇りて雪が降る

 

百の貧患者に寒のぼろ太陽

 

寒の星一點ひびく基地の上

 

霜燒けの薔薇の蕾に飛行音

 

枯山に日はじわじわと指えくぼ

 

地にころぶ黑寒雀今の友

 

枯土堤の山羊の白さに心(しん)弱る

 

少女舌出すごと頂上に雪すこし

 

  島津亮を見舞う

 

君生きよ風船の笛枯野に鳴る

 

[やぶちゃん注:島津亮(しまづりょう 大正七(一九一八)年~平成一二(二〇〇〇)年)は俳人。「―俳句空間―豈weekly」の「俳句九十九折(21) 俳人ファイル ⅩⅢ 島津亮」の冨田拓也氏の記載によれば、昭和二一(一九四六)年に三鬼と邂逅し、『青天』に参加して句作を始めた。『雷光』『梟』『夜盗派』『縄』『海程』『ユニコーン』などに参加する。年譜によれば、この前年の昭和二九(一九五四)年に右肺上葉部を切除しており、結核かと推測される。但し、この昭和三〇(一九五五)年には退院しており、第四句集まで出し、享年八十二歳で亡くなっている。リンク先では彼の句も読める。]

 

かかわりなき賣地の霰こまかな粒

 

枯山に路あり赤き手の女中

 

寒雷やセメント袋石と化し

 

寒行の足音戰前戰後なし

 

ヘヤピンを前齒でひらく雪降り出す

 

寒嚴に乘る腹中に餠溶けて

 

北風(きた)あたらしマラソン少女髮撥ねて

 

寒肥まく貧の小走り小走りに

 

酸素の火みつめ寒夜の鐵假面

 

鐡色に戻る寒夜の燒爐出て

 

寒木が枝打ち鳴らす犬の戀

 

春の崖に黄金朝日バタなき麺麭

 

芽吹くもの風化の巖に根を下ろし

 

死の灰や戀のポートの尻沈み

 

冬越え得し金魚の新鮮なる欠伸

 

[やぶちゃん注:「欠」は私の恣意的な判断で正字化しなかった。]

 

春の沖へ叫ぶ根のある嚴に立ち

 

最高となり廿舊上の巖の林檎

 

蠅黑く生れ山中の嚴つかむ

 

極寒の病者の口をのぞき込む

 

寒燈を消し滅亡に驛眠る

 

病院の岩窪の霧夜光る

 

貧しき退院胸に霰をはじきつつ

 

踏切番の口笛寒夜の木割りつつ

 

浮き沈む雪片石切場の火花

 

無口の牛打ちては個々に死ぬ霰

 

卒業近し髮揚げ耳を掻く片眼

 

石炭にシャベル突つ立つ少女の死

 

木の芽山容漉き印度人の墓碑

 

鳥も死にしか春山墓地の片つばさ

 

春山に小市民と犬埴輪の顏

 

しやべる戀春もよごれて雀らは

 

羽ばたけり腐れ運河の春の家鴨

 

春山にひらく辨當こんにやく黑し

 

蠅生れ墓石を舐め羽づくろい

 

肉色の春月燃ゆる墓の上

 

春園の巖頭ゆで卵もて叩く

 

すみれに風一段高くボートの池

 

囘る木馬一頭赤し春の晝

 

子を追いて馳け拔ける犬夕櫻

 

春の洲に牛の重みの足の跡

 

この鐡路霞の奥にグヮンと打つ

 

農夫婦帽子あたらし麥あたらし

 

櫻ごし赤屋根ごしに屍室の扉

 

雨の珠耳朶にきらめく勞働祭

 

水ありて蛙天國星の闇

 

  印旛沼 五句

   ――秋元不死男、石塚友二等と――

 

栗咲けりピストル型の犬の陰(ほと)

 

黑蝶となり靑沼にくつがへる

 

靑沼ヘ音かたぶきて晝花火

 

腰以下を黑き沼田に胸邊(むねべ)鋤く

 

よしきりや石塚友二身を投げず

 

石の獅子五月の風に鼻孔ひらく

 

雌雀に乘り降り乘り降り實(げ)に五月

 

靑梅が瘦せてぎつしり夜の甕

 

皺だみし干梅嚙んで何なさむ

 

麥車曳きなし遂げし牛の顏

 

電報の文字は「ユルセヨ」梅雨の星

 

光る針縫ひただよへり黴の家

 

  大野音次の死 八句

 

蚊帳よろけいで片假名の訃報よむ

 

彼の死へ夏河渡り夏山越え

 

炎天に體浮くごとし弟子の死へ

 

團扇動かす膝立てしなきがらへ

 

これは故(もと)音次金の蠅に憑かれ

 

手を振つて死顏の蠅拂うのみ

 

雷若し胎に動きてすでに遺兒

 

棺あまり小さし海南風に待つ

 

[やぶちゃん注:三鬼の愛弟子大野音次は同年六月二十六日に急逝した。編者注に『断崖』初出の原題は「弟子の死」とある。最後の句の「海南風」は「かいなんふう・かいなんぷう」と読み、夏の季語で、南の海方向から吹き寄せる季節風のこと。「うみみなみ」とも読むが、ここは「かいなん/ふう」であろう。因みに、恐らくは次の句の「彼」も音次と思われる。]

 

彼の亡き地上綠䕃日の模樣

 

發光する基地まで闇の萬の蛙

 

尺八細音暗き家出で炎天へ

 

片蔭にチンドン屋夫妻しつかな語

 

動くもの靑炎天の肥車

 

  藥師寺

 

苗代の密なる綠いつまで

 

梅雨雀古代の塔を湧き立たす

 

梅雨荒れの砂利踏み天女像へゆく

 

佛見る間梅雨の野良犬そこに待てよ

 

天女の前ゴム長靴にほとびし足

 

泥鰌に泥鴉に暗綠大樹あり

 

  淺井久子を見舞う

 

手鏡に梅雨の渦雲ひた寄する

 

[やぶちゃん注:俳人と思われる。塚本邦雄の「百句燦燦」(講談社一九七四年)の掲載俳人の中に彼女の名が認められる。]

 

朝蟬の摺り摺る聲と日の聲と

 

大旱の崖の赤土ゑぐる仕事

 

大旱の岩起す挺子弓反りに

 

大旱や子の泣聲の細く長く

 

一片の薔薇散る天地旱の中

 

下駄はきて星を探しに雷後雨後

 

廣島の忌や浮袋砂まぶれ

 

原爆の日の擴聲器沖へ向く

 

眼を張りて炎天いゆく心の喪

 

[やぶちゃん注:「いゆく」の「い」は接頭語で、行く、の意。万葉の時代から用いられた古語。]

 

天地旱トラックの尾の赤き布

 

土色ばつたのため平らかに白光土

 

大旱やトラック砂利をしたたらす

 

  岡山縣蒜山(ひるせん)高原 一〇句

 

高原の蝶噴き上げて草いきれ

 

高原の靑栗小粒日の大聲

 

火山灰高地玉蟲のきりきり舞

 

高原の枯樹を離れざる蟬よ

 

死火山麓泉の聲の子守唄

 

今生の夏うぐひすや火山灰地

 

ダム厚く暑し水沒者という語あり

 

ダムの上灼けて土工の墓二十

 

仰向きて泳ぐ人造湖の隅に

 

[やぶちゃん注:「蒜山高原」「蒜山」は通常は「ひるぜん」と読み、岡山県真庭市と鳥取県関金町との境にある高原地。西から上蒜山・中蒜山・下蒜山の蒜山三座と呼ばれる峰が並び、その南に蒜山高原が広がる。これらの吟は同年八月に津山へ帰郷した際に、湯原(ゆばら)温泉に遊んだ際のもので、蒜山高原は湯原温泉から一〇キロメートルほど北上した位置にある。また後半のダムは、温泉の直上の上流にある湯原ダムである。湯原ダムは岡山県真庭市にある一級河川旭川本川上流部に建設されたダムで、中国電力と岡山県の共同事業で建設された重力式コンクリートダム。洪水調節及び発電を目的とする多目的ダムとして、旭川総合開発事業と電力供給事業の一環として昭和二四(一九四九)年に立案、昭和二七(一九五二)年二月に着工、七十四億円の費用と延人員二六〇万人を動員、まさに三鬼が訪れた五ヶ月、昭和三〇(一九五五)年三月に竣工したばかりであった。ダムによって形成された人造湖は湯原湖と命名され、面積四五五ヘクタールは中国地方最大で、平成の大合併以前の旧湯原町・旧中和村・旧八束村に跨っている(以上の湯原ダムの記載ははウィキ湯原ダム」に拠った)。]

 

切に濡らすわれより若き父母の墓

 

大旱の赤三日月の女憂し

 

銀河の下犬に信賴されて行く

 

晩夏の音鐵筋の端みな曲り

 

  石山寺など 五句

 

廢兵の樂ぎざぎざの秋の巖へ

 

搖れていし岩間の曼珠沙華折らる

 

豐年や湖へ神輿の金すすむ

 

大いなる塵罐接收地區の秋

 

[やぶちゃん注:「塵罐」は恐らく、「ちりかん」と読み、駐留の米軍住宅か基地の中の大きな金属製の円筒型ゴミ入れと考えられる。]

 

  義仲寺

 

秋日さす割られ繼がれし「芭蕉墓」

 

  松山 二句

 

秋の夜の海かき囘し出帆す

 

船欄に夜露べつとり逃げる旅

 

城山が透く法師蟬の聲の網

 

風化とまらぬ岩や舟蟲一族に

 

秋の男二人に化石個々白し

 

貧農の軒とうもろこし石の硬さ

 

頭上げ下げ叫ぶ晩夏のぼろ鴉

 

出勤の足は地を飛びばつた跳ぶ

 

愛撫する月下の犬に硬き骨

 

河ほとり人住む小箱聲なき百舌鳥

 

手にくだく落葉稻扱く場を過ぎて

 

野良犬よ落葉にうたれとび上り

 

大乳房ゆらゆら刈田より子等へ

 

ざぼん黄色三味たどたどと母遊ぶ

 

月下匂う殘業終えし少女の列

 

工場出る爪むらさきの秋の暮

 

豐年の黑き裸を温泉(ゆ)に打たす

 

秋の夜の地下にうつむき皿洗う

 

鳶光る岩山の雲冷ゆる中

 

秋の河滿ちてつめたき花流る

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