一言芳談 五十六
五十六
敬蓮社(きやうれんじや)云、日來(ひごろ)後世の心あるものも、學問などしつれば、大旨(おほむね)は無道心になる事にてあるなり。
[やぶちゃん注:「敬蓮社」正治元(一一九九)年~弘安四(一二八一)年又は弘安八(一二八五)年)敬蓮社入西。入阿。長州の人。初め、成覚房について一念義を学び、十二歳の時、健保二(一二一四)年に真如堂で聖覚上人の説法を聞き、俄然、一念義を捨てて鎮西に走り、聖光上人(弁長)の門弟となった。三十六歳の頃には鎌倉に入って教化に勤めている。弁長滅後は彼の伝記も録している。「蓮社」というのは浄土門で用いる法号の一種で、中国廬山の東晋の名僧慧遠(えおん 三三四年~四一六年)が在家信者らとともに結成した念仏結社白蓮社に因んだもの。]