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2013/01/03

北條九代記 勝木七郎生捕らる付畠山重忠廉讓 (これ、僕は結構、面白いと思うんだけどな……厳密には「吾妻鏡」の元がね……)

      ○勝木七郎生捕らる付畠山重忠廉讓

同二年二月賴家卿御所侍(さぶらひ)に出給ひ、波多野三郎盛通に仰せて、「勝木(かつきの)七郎則宗(のりむね)を生捕りて參らすべし。是は近仕の侍なりといへども、景時に同意の由、確(たしか)に申すに依てなり」盛道即ち後(うしろ)に廻りて、勝木を懷きて、押伏(おしふ)せんとす。則宗は相撲(すまふ)の達者なり。筋力人に越えたりければ、右の手を振(ふり)放ち、腰刀(こしがたな)を拔きて、盛通を刺さんとす。畠山重忠折節傍(そば)にありて、居ながら腕(かひな)を差延(さしの)べて、則宗が拳(こぶし)を刀と共に握加(にぎりくは)へ、その腕を折敷(をりし)きければ、左右なく捕られたり。和田義盛に預けて子細を問(とは)せらる。勝木則宗申しけるは、「梶原景時鎭西を管領(くわんりやう)すべきの由宣旨を請ひ申す、急ぎ京都に上洛すべしと九州の一族共(ども)に觸(ふれ)遣す。某(それがし)契約の趣(おもむき)ある故に、狀を認(したゝ)めて九國の輩に送り候。この外には何の知りたる事も候はず」と申す。先(まづ)義盛に仰せて戒(いましめ)置かれ、波多野三郎盛通が則宗を生捕りたる勸賞(けんじやう)の沙汰あり。廣元、行光是を奉行す。眞壁糺内(まかべのきうない)と云ふ者、盛通に宿意やありけん進み出でて、「勝木を生捕しは盛通が高名にあらず、畠山重忠の手柄なり」とぞ妨げ申しける。賴家卿聞(きこし)召され、「然らば眞壁と畠山を石の壼に召して決判すべし」とて兩人をぞ召されける。重忠申されけるやう、「その事更に存知せず。盛通の手柄なりと承り及ぶ所なり」とて御前を罷(まかり)立ちて、侍所に歸り來り、眞壁に向ひて申されけるは、「斯様(かやう)の讒(さかしら)は、人に付け世に付けて、尤も益なき事なり。凡(およそ)弓箭(きうせん)に携はる習(ならひ)は僞(いつはり)なく私(わたくし)を忘るを以て本意とす、若(もし)夫(それ)勳功の賞に募(つの)らんと思はば、直(ぢき)に則宗を生捕たる由を申さるべし。何ぞ重忠を指し申されんや。彼の盛通は譜代の勇士なり。敢て重忠が力を借り申されんや」と有りければ、眞壁深く信伏(しんぶく)し、面目なくぞ覺えたる。重忠の廉譲(れんじやう)誠に武士(ものゝふ)の道を守る。是を仁義の侍とは名付けたりと聞く人感じ思ひけり。小山(をやまの)左衞門尉が舎弟五郎宗政は、年來當家の武勇、獨(ひとり)宗政にあるの由自讃荒涼の振舞を致しながら、此度景時が権威に恐れて、諸將連署の判形を加へざる事は、武名を落して恥を忘れたり。向後定(さだめ)て手柄の腕立(うでだて)は一言(ごん)を吐出すとも聞入る人もあるべからず。重忠の心ざしには遙(はるか)に替り侍ると各(おのおの)互(たがひ)に沙汰しけり。

[やぶちゃん注:「吾妻鏡」巻十六の正治二(一二〇〇)年二月二日及び六日に基づく。なお、直接話法を自然にするために、訓読を一般の読みとは変えてある。

〇原文

二日戊午。陰。南風烈。申剋甚雨。雷鳴二聲。今日出御々所侍。仰波多野三郎盛通。被生虜勝木七郎則宗。依爲景時餘黨也。是多年奉昵近羽林之侍也。相撲達者。筋力越人之壯士也。盛通進出則宗之後懷之。則宗振拔右手。拔腰刀。欲突盛通之處。畠山次郎重忠折節在傍。雖不動坐。捧左手。取加則宗之擧於刀腕不放之。其腕早折畢。仍魂惘然而輙被虜也。即給則宗於義盛。義盛於御厩侍問子細。則宗申云。景時可管領鎭西之由。有可賜 宣旨事。早可來會于京都之旨。可觸遣九州之一族云々。契約之趣不等閑之間。送狀於九國輩畢。但不知其實之由申之。義盛披露此趣之處。暫可預置之由。所被仰也。

〇やぶちゃんの書き下し文

二日戊午。陰る。南風烈し。申の剋、甚だ雨ふる。 雷鳴二聲。今日、御所の侍に出御。波多野三郎盛通に仰せて、勝木七郎則宗を生け虜(と)らる。景時の餘黨たるに依つてなり。是て、多年、羽林に昵近(じつきん)し奉るの侍なり。相撲の達者、筋力、人に越ゆるの壯士なり。盛通、進み出で則宗の後から之を懷(いだ)く。則宗、右手を振り拔き、腰刀を拔き、盛通を突かんと欲するの處、畠山次郎重忠、折節、傍らに在り、坐を動かずと雖も、左手を捧げ、則宗が擧刀(にぎりがたな)を腕(かひな)に取り加(そ)へ之を放たず、其の腕早くも折り畢んぬ。仍つて、魂、惘然(ばうぜん)として輙(たやす)く虜(いけど)らるなり。即ち、則宗を義盛に給ふ。義盛、御厩侍(おんうまやざむらひ)に於いて子細を問ふ。則宗、申して云はく、

「景時、鎭西を管領すべきの由、宣旨を賜はるべき事有り。早く京都に來會すべきの旨、九州の一族に觸れ遣はすべし。」と云々。

「契約の趣き、等閑(なほざり)ならざるの間、九國の輩に狀を送り畢んぬ。但し、其の實を知らず。」

との由、之を申す。義盛、此の趣きを披露するの處、

「暫く預け置くべし。」

との由、仰せらるる所なり。

・「勝木七郎則宗」彼はここで許され出身地であった筑前国御牧(みまき)郡(現在の遠賀郡)に帰国、後に鳥羽院の西面の侍となったが、承久の乱で京方に加わったために所領を没収、一族は離散した(角川書店「日本地名大辞典」に拠る)。

・「則宗、右手を振り拔き、腰刀を拔き、盛通を突かんと欲するの處、畠山次郎重忠、折節、傍らに在り、坐を動かずと雖も、左手を捧げ、則宗が擧刀を腕に取り加へ之を放たず、其の腕早くも折り畢んぬ」則宗は盛通が背後から抱えている状態から、自身の右手を上方へ力任せに引き抜くと矢庭に、帯刀した小刀(さすが)を抜刀、(恐らくは自身の左手から)押さえつけている背後の盛通を刺そうとしたその時、畠山次郎重忠が丁度、則宗の右隣に着座していたが、彼は座ったそのままですっと左手を伸ばすと、則宗の刀を握った手をその左腕で巻き込んで離さず、しかも、間髪を入れず、則宗の右腕をへし折った、のである。臨場感のある描写と、「坂東武士の鑑」と讃えられた重忠の沈着と、かの鵯越えの逆落としで馬を背負った無双の腕力が味わえる名場面である。筆者の、ここを採用した思いが私には、よく分かる。

 

次は、なかなか絶妙に面白い各人の発言である。

〇原文

二月大六日壬戌。晴陰。雪飛風烈。今日。則宗罪名幷盛通賞事。有其沙汰。廣元朝臣。善信。宣衡。行光等奉行之。爰有眞壁紀内云者。於盛通成阿黨之思。生虜則宗事。更非盛通高名。重忠虜之由憤申之。仍於石御壺。被召决重忠与眞壁之處。重忠申云。不知其事。盛通一人所爲之由。承及許也云々。其後。重忠歸來于侍。對眞壁云。如此讒言。尤無益事也。携弓箭之習。以無横心爲本意。然而客爲懸意於勳功之賞。成阿黨於盛通者。直生虜則宗之由。可被申之歟。何差申重忠哉。且盛通爲譜第勇士。敢不可借重忠之力。已申黷譜第武名之條。不當至極也云々。内舎人頗赧面。不及出詞。聞之者感嘆重忠。其後。小山左衞門尉。和田左衞門尉。畠山次郎已下輩群集侍所。雜談移剋。澁谷次郎云。景時引近邊橋。暫可相支之處。無左右逐電。於途中逢誅戮。違兼日自稱云々。重忠云。縡起楚忽。不可有鑿樋引橋之計難治歟云々。安藤右馬大夫右宗〔生虜高雄文學者也。〕聞之云。畠山殿者。只大名許也。引橋搆城郭事。不被存知歟。壞懸近隣小屋於橋上。放火燒落。不可有子細云々。亦小山左衞門尉云。弟五郎宗政者。年來當家武勇。獨在宗政之由自讃。而怖今度景時之威權。不加判形於訴状。墜其名條。可耻之。向後莫發言云々。宗政雖爲荒言惡口之者。不能返答云々。

〇やぶちゃんの書き下し文

六日壬戌。晴れ、陰る。雪、飛び、風、烈し。今日、則宗が罪名幷びに盛通が賞の事、其の沙汰有り。廣元朝臣・善信・宣衡・行光等、之を奉行す。爰に眞壁紀内(まかべのきない)と云ふ者有り。盛通に於いて阿黨の思ひを成し、

「則宗を生け虜る事、更に盛通の高名に非ず。重忠、虜る。」

の由、之を憤り申す。仍つて石の御壺に於いて、重忠と眞壁を召し、决せらるるの處、重忠、申して云はく、

「其の事を知らず。盛通一人の所爲の由、承り及ぶ許(ばか)りなり。」

と云々。

其の後、重忠、侍に歸り來たり、眞壁に對して云はく、

「此くのごとき讒言、尤も無益の事なり。弓箭(きうせん)の習ひに携り、横心(わうしん)無きを以つて本意と爲す。然れども、客、意(こころ)を勳功の賞に懸けんが爲、阿黨を盛通に成せば、直(ぢき)に則宗を生け虜るの由、之を申さるべきか。何ぞ重忠を差し申さんや。且つは盛通、譜第(ふだい)の勇士たり。敢へて重忠の力を借るべからず。已に譜第の武名を申し黷(けが)すの條、不當の至極なり。」

と云々。

内舎人(うどねり)、頗る面(おもて)を赧(あか)らめ、詞を出すに及ばず。之を聞く者、重忠を感嘆す。其の後、小山左衞門尉・和田左衞門尉・畠山次郎已下の輩、侍所に群集(ぐんじゆ)し、雜談、剋を移す。澁谷次郎云はく、

「景時、近邊の橋を引き、暫く相ひ支(ささ)ふべきの處、左右(さう)無く逐電し、途中に於いて誅戮(ちうりく)に逢ふ。兼日の自稱に違へり。」と云々。

重忠云はく、

「縡(こと)、楚忽(そこつ)に起こり、樋(ひ)を鑿(うが)ち、橋を引くの計(けい)、有るべからず。難治か。」と云々。

安藤右馬大夫右宗(みぎむね)〔高雄の文學を生け虜る者なり。〕、之を聞きて云はく、

「畠山殿は、只だ大名許りなり。橋を引き、城郭を搆ふる事は、存知せられざるか。近隣の小屋を橋の上に壞(こぼ)ち懸け、火を放ち燒き落すこと、子細有るべからず。」

と云々。

亦、小山左衞門尉云はく、

「弟五郎宗政は、年來(としころ)、當家の武勇、獨り宗政に在るの由、自讃す。而るに今度(このたび)景時の威權を怖れ、判形(はんぎやう)を訴状に加へず、其の名を墜(おと)すの條、之を耻づべし。向後、發言すること莫かれ。」

と云々。

宗政、荒言惡口の者たりと雖も、返答に能はずと云々。

・「眞壁紀内」真壁秀幹。「内」は後に出る官職「内舎人(うどねり)」の略。

・「阿黨の思ひ」個人的な怨恨や復讐の感情。

・「横心」邪まなる心。不当な意図。

・「然れども、客、意を勳功の賞に懸けんが爲、阿黨を盛通に成せば、直に則宗を生け虜るの由、之を申さるべきか。何ぞ重忠を差し申さんや。且つは盛通、譜第の勇士たり。敢へて重忠の力を借るべからず。已に譜第の武名を申し黷(けが)すの條、不當の至極なり。」いい台詞である。以下に訳す。

・「然しながら、貴殿は(真壁を指す)――勲功の褒賞ばかりが頭にあり――いや! 違う! 盛通をただ恨んでいるがためだけじゃ……そのために、かような下らぬ謂いを成したので御座ろうが。しかし、ここは、やはり、彼、盛通一人が直(じか)に則宗を生け捕った、と申すが正しきことで御座ろう! どうして、この重忠をわざわざ申し出だす必要が、これ、御座ろうか! しかも盛通は先祖代々の勇士である! 敢えて、この老体の重忠なんどの力を借りる必要、これ、御座ろうや! かくも彼の、先祖代々の、その武名の誉れを、これ、ちゃちゃを入れて穢すの条、甚だ以って不当の極みである!

・「景時、近邊の橋を引き、暫く相ひ支ふべきの處、左右無く逐電し、途中に於いて誅戮に逢ふ。兼日の自稱に違へり。」……そもそもが景時、自身の館にて、近々の橋を皆、悉く引き落として立て籠り、暫くの間、持ち堪えるという戦術をとるがよいに、そうしたことを全くせず、京へ向けて遁走し、途中に於いてかくもむざむざと殺戮さるるに逢う。これは、いつものあの男の、石橋を叩いて渡るに若かずと自身が申しておった、かの用心深さとは大分、違(ちご)うておりますのう。――

・「縡、楚忽に起こり、樋を鑿ち、橋を引くの計、有るべからず。難治か。」……いや、ことは急に勃発したによって、樋を掘って水を引いたり、橋を引いて進路を断つといった計略を致す暇(いとま)も、これ、無かったに違いない。」なかなかにそうしたことは、これ、急に成すは、難しいことではないか?――

・「安藤右馬大夫右宗」信濃国出身。謂いからは、地方での実戦経験が豊富なようである。

・「畠山殿は、只だ大名許りなり。橋を引き、城郭を搆ふる事は、存知せられざるか。近隣の小屋を橋の上に壞ち懸け、火を放ち燒き落すこと、子細有るべからず。」……失礼ながら、(平家に永く仕えておられた)畠山殿は、その筋の大々名でおられる故、野戦の実戦に於いて周辺の橋を引き崩し、城砦の防備を構えるといった仕儀については、これ、御存知でないようで御座る、の。近隣の住民の家屋を壊し、橋の上に崩し掛け、火を放って一緒に焼き落とせば、これ、実に造作ないことにて、御座るて。――]

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