西東三鬼句集「變身」 昭和二十九(一九五四)年 一一一句
昭和二十九(一九五四)年 一一一句
聲なり刈田の果に叫びおる
腰叩く刈田の農夫誰かの父
凶作の刈田電柱唸り立つ
木枯や晝の鷄鳴吹き倒され
默契の雄牛と我を霰打つ
滿天に不幸きらめく降誕祭
凶作の稻扱きの音入日枯れ
角砂糖前齒でかじる枯野の前
手を分つ石壁の角どこかに火事
生き馬のゆくに從い枯野うごく
霜柱兄の缺けたる地に光る
誓子山莊 二句
寒嚴に師の咳一度二度ひびく
荒れし谷底光りて寒の水流る
海鼠嚙む汝や戀を失いて
傍觀す女手に鏡餠割るを
しん底寒し基地に光の柱立つ
坂上げて枯野の雲を縱に裂く
鴉飛び立てり羽ばたく枯野男
姿なく寒明けの地を馳け過ぎし
太郎發病
寒星は天の空洞子の病氣
病む顏の前の硝子に雪張りつく
[やぶちゃん注:「太郎」は三鬼の長男(当時二五歳)。この一月に喀血した。後、昭和三十六(一九六一)年に彼は婚約しており(底本年譜に同年九月『二十三日、大森で長男太郎の婚約者』に初めて対面、『二十五日、角川源義に媒酌人を依頼』とあるから、予後はよかったものと思われる。知る人ぞ知るであるが、三鬼の女性遍歴は華やかで、この初婚の妻子の元からは昭和一七(一九四二)年十二月に出奔、同年の年譜には『再び妻子のもとに帰ることはなかった』とある。]
大阪造船所 九句
濕地帶寒打サイレン尾を曳きずる
黑き男鐵船へ入る寒の暮
船組むや大寒の沖細明り
造船所壁無し言葉の白き息
白息を交互に吐きて鐵板打つ
未完成の船の奧にて白息吐く
造船所寒燈も酸素の火も裸
雛の蹴爪ほどの薔薇の芽ただ恃む
紙の櫻黑人悲歌は地に沈む
大きかな師の體臭と木の葉髮
蜂は脚ぶら下げ主婦は手動かし
春の驛喫泉の穗のいとけなし
[やぶちゃん注:「喫泉」とは水飲み場の立位で啜るタイプの水道栓を言うものと思われる。]
死の灰や砂噴き上げて春の泉
櫻冷え看護婦白衣脱ぎて病む
土團子病孤兒の冬永かりし
向日葵播き雲の上なる日を探す
上向く芽洗濯の足袋みな破れ
ゆるやかに確かに雲と麥伸びる
肉煮る香羊齒はこぶしの指ひらく
死の灰雲春も農婦は小走りに
顏天使前向き耕人うしろ向き
[やぶちゃん注:底本に、親本の原注として、『「顔天使」とは中世の画家が、天使に首以下は無用として、顔に翼生えた天使を描きしを言う。』と脚下に附す。]
日の出前蝌蚪に迅風(はやて)の音走る
馬と人泥田に插さり勞働祭
がつくりと菜殼火消えて雨降り出す
黄麥滿ち聲應へつつ牛と牛
笑つている蜂にさされても主婦は
眼をあけて蝮の眠る薔薇の下
誕生日靑無花果に朝日照る
犬逸り五月乙女の腕伸び切る
母の腰最も太し麥を刈る
童女かがみ尿ほとばしる麥の秋
照る岩に刈麥干して山下る
物いはず筍をむく背おそろし
伊豆 五句
靑伊豆の鴉吹き上げ五月の風
海から無電うなずき歩む初夏の鳩
オートバイ照る燈臺へ岩坂跳ね
暮るる礁に羽根ひろげ待つ雄の鵜か
黑南風の岬に立ちて呼ぶ名なし
[やぶちゃん注:「黑南風」は「くろはえ」と読み、梅雨の初めに吹く南風のこと。]
胡瓜もぎ嚙みて何者かと語る
蛇の卵地上に並べ棒で打つ
いやな立雲樹の垂直を蟻走る
[やぶちゃん注:「立雲」は「たちぐも」で、入道雲の異称。]
蛙の大合唱くらやみの地を守る
赤羊羹皿に重たし梅雨三日月
金魚浮き時を吸いては泡を吐く
炎天や濡れて横切るどぶ鼠
西瓜切るや家の水氣と色あふれ
骨のみの工場を透きて盆踊
炎天勇まし砂利場に砂利滿てり
物が見え初めし赤子蠅飛び交う
颱風來つつあり大小の紙の鶴
よく遊べ月下出でゆく若衆猫
血ぶくれの蚊を打つ蚊帳の白世界
西日照る若き石崖颱風前
夏草にうめく鐡路の切れつぱじ
十五夜の怒濤へ若き踊りの手
つぎはぎの秋の國道乳房跳ね
滿月下ブリキの家を打ち鳴らす
暗き露へ頭中の女振り落す
剥製の雉子狂院の秋やすらか
秋風に岩もたれあい光りあう
みずすまし遊ばせ秋の水へこむ
のけぞる百舌鳥雲はことなくみゆれども
棒立ちの急所急所に百舌鳥ひびく
十月の雨粉炭の山に浸む
鷄頭の硬き地へ貧弱なる嚔
枝の蛇そのまた上の鰯雲
秋の蠅嚴につるめり沖昏む
秋草に寢れば鷄鳴「タチテユケ」
卵割りし一事確かに秋の朝
公(おおやけ)の秋日土中に蛙クク
鷄頭の幹も鷄頭地に沈む
愛語通り過ぐ秋山の握り飯
樹々黑く唇赤し秋の暮
かまきり立つ若く貧しき山遊び
葉鷄頭食い荒したる日傾く
眼そらさず枯かまきりと猫と人
鳴き殘る蟲や滿員電車發つ
金の蠅枯野へ飛びぬ硝子戸閉ず