一言芳談 七十九
七十九
正信(しやうしん)上人云、念佛宗は、義なきを義とするなり。
〇義なきを義とす、念佛往生の別の仔細なしといふが淨土宗の義門なり。
[やぶちゃん注:「正信」湛空(安元二(一一七六)年~建長五(一二五三)年)は浄土僧。
右大臣徳大寺公能(きんよし)の子。初め比叡山に登り、第六十六代天台座主実全に師事して顕密二教を学んだ後、法然に帰依、その四国への流罪にも従ったとされる。師の死後は嵯峨の二尊院にあって、師の遺骨を迎えて宝塔を建立して更なる布教に勤め、その門下は嵯峨門徒と呼ばれた。正信房は号。
「義なきを義とする」これは唯円の「歎異抄」第十条の冒頭に、親鸞の直話として、
念佛には無義をもて義とす。不可稱、不可説、不可思議のゆえに、とおほせさふらひき。
と出る。この「義」について、例えば、大橋氏『理屈』と訳され、その他にも「歎異抄」では『義は宣ということ。善を善とし惡を惡として判斷するこ、つまり、はかろうこと』(相和二九(一九五四)年刊角川文庫・梅原真隆氏訳註「歎異抄」の注)、『思い計』ること・『人間の判断』(昭和四七(一九七二)年刊講談社文庫・梅原猛校注「歎異抄」の注)、『みづからの〈知〉のはたらきによって捉えた法義、教理』(青土社平成四(一九九二)年刊・佐藤正英「歎異抄 論注」とある。要は、この逆説自体が、こざかしい人智の「判断」という移ろい易い虚妄の現象を開示するメタな言説であると私は考えている。]
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