生物學講話 丘淺次郎 第六章 詐欺 四 忍びの術(2)
樹木の幹の凹んだ處を探すと、「やにさしがめ」と名づける蟲が往々居るが、これは體の表面に脂のようなもので砂の粒を澤山に著けて居るため、足を縮めて靜止して居ると、砂の粒だけの如くに見えて、蟲の居ることは一寸知れない。また海岸の岩石に多數に附著して居る「いそぎんちやく」にも、體の表面に砂粒を著けて居るものが頗る多い。口を閉じ體を縮めて居ると、たゞ砂ばかりに見えるから、目の前に「いそぎんちやく」が澤山居ても大抵の人は知らずに通り過ぎる。嘗て房州館山灣の沖の島で、一米四方の處に、百疋以上も算へたことがあるが、かやうに多數に居る處でも、たゞ表面を見ただけでは少しもこれに氣が附かぬ。
[やぶちゃん注:「やにさしがめ」半翅(カメムシ)目異翅(カメムシ)亜目トコジラミ下目サシガメ上科サシガメ科ヤニサシガメ
Velinus nodipes。丘先生は「脂のようなもの」とおっしゃっておられるが(講談社学術文庫版は編者によって「あぶら」とルビを振るが、これは「やに」「ヤニ」と訓ずるべきところである)と、これは旧埼玉県立自然史博物館サイトアーカイブの野沢雅美氏の「体にヤニを装うカメムシ」によれば、正真正銘の松の「脂(やに)」であることが分かる。丘先生の時代には、体内合成されるものと考えられていたようである。以下、その部分を見ると、『これまでヤニサシガメの体を覆うヤニ物質は、脚にある結節状の膨らみから分泌されていると言われてき』たが、『飼育観察の結果、与えていたアカマツの枝や葉の切口から分泌されるマツヤニを前脚でこすりとり、その脚で体全体に順序よく、ヤニをこすりつける行動が観察された』(一九七二年)。『その後も飼育状態で、この事実を何度となく観察することができ』た、とある。その方法は
(1)前脚によるヤニこすりとり
(2)前脚による中脚へのこすりつけ
(3)中脚から後脚へのこすりつけ
(4)後脚による腹部および背面へのこすりつけ
によって行われ、『こうした一連の行動は、マツの枝や葉を換えるたびに大部分の個体に見られ、いずれの場合にも切口に集合し、前脚を使ってこすりとりが行われ』た。以上のヤニサシガメの習性は、一九七六年になって『静岡県磐田市で、クロマツのヤニをこすりとる野外での観察例が、初めて報告され』、『ヤニのこすりとりの習性は、まちがいのないことが確かめられた』とある。以下、原文の敬体のまま引用する。『では、体を覆うヤニは一体どのような意味があるのでしょうか。まず、越冬期における幼虫の集団越冬に関係することが考えられます。ヤニサシガメの幼虫は、樹幹の低位置で越冬する個体ほど集団化する傾向があり、ヤニでお互いの体を付着させながら、塊りになって越冬することです。集団越冬は、体温の低下が少なく、寒さから身を守るのには都合がよいのかもしれません。中には、土粒や葉片をつけている集団も観察されました』。『次に摂食行動に関係していることがあげられます。体のヤニに脚をとられて、動けなくなったハエの体液を吸収していたという報告もあります。飼育実験でも、体に餌となる昆虫をつけるとよく付着し、ついには刺殺するのが見られます』。『このほか、天敵に対する防御手段や体の乾燥防止などの効果が考えられますが、これといった決め手はありません。ヤニサシガメの体を調べると、野外の個体は飼育個体よりも光沢が強く、粘着性も強いことがわかります。活発に動き回るものほどつやもよくベトベトしています。光沢を失った個体は次第に衰弱し、ついには死んでしまいます』。『ヤニサシガメの体を覆うヤニは、こすりとり行動のほか、マツヤニの分泌部に口吻(こうふん)を刺し込んで吸収する事実もあることから、体内に取り込んだマツヤニを使って体から分泌しているのかも知れませんが、内部組織学的な調べが必要です』。『マツ林が枯れ、ゴルフ場などの造成によって、ヤニサシガメの棲む環境が急速に失われています。どこにでも見られた普通種ヤニサシガメは、しだいに希な昆虫になりつつあります』と最後を括っておられる。ヤニサシガメ……確かに、遠い昔に見たことがあるような気がする。
『「いそぎんちやく」にも、體の表面に砂粒を著けて居るものが頗る多い』代表的な種は花虫綱六放サンゴ亜綱イソギンチャク目 Actiniaria のウメボシイソギンチャク科ヨロイイソギンチャク Anthopleura japonica である。体壁の直径は三~五センチメートル。干潮線の砂や小石の中、岩礁海岸の潮間帯の岩の割れ目などに吸着して棲息しているが、常に多数の小石や貝殻片を体表に附着させており(特に上部の疣状吸盤に顕著)、縮むと体壁は殆んど見えなくなる。和名はこの鎧(よろい)状の吸着物に由来する。体色は淡褐色から濃褐色で個体変異に富む。本州~九州に分布するが、本邦に多くの棲息すると考えられている Anthopleura 属中、本種はその中でも体壁の吸着疣の発達が最も著しい種である(以上は主に西村三郎「原色検索日本海岸動物図鑑[Ⅰ]」(保育社)の記載を参照した)。因みにイソギンチャク目の“Actiniaria”は、ギリシア語“aktis”(光・放射線)に由来し、ヨロイイソギンチャクの属名“Anthopleura”はギリシア語“anthos”(花)+“pleura”(肋骨・側面)で、触手の花に、鎧状の表皮を、ごつごつした肋骨に譬えたものででもあろうか。
「房州館山灣の沖の島」千葉県館山市館山湾の南端に位置している島(現在の海上自衛隊館山航空基地の西)で、南房総国定公園の一つである沖ノ島。以前は 五〇〇メートル沖合にあった島嶼であったが、関東大震災による隆起などによって現在は陸繋島(トンボロ)となっている周囲約一キロメートルで島内はヤブニッケイやタブノキなどの温暖帯海岸林で覆われ、海岸性動植物が共存する。東岸は海藻の群落が目立ち、西岸は貝類の採集に向き、南岸は比較的水深が浅い。北岸は水深二メートル以深に世界最北の珊瑚棲息域を観察出来る(以上は館山市観光協会の「沖ノ島」の記載に拠った)。丘先生が観察された頃は陸繋島化の前である。因みに、私は漱石の「こゝろ」の注釈テクストの「(八十二)」で、この島をKと先生との房州行でのロケ地の同定地候補の一つと考えている。是非、私の注をお読み戴きたい。……丘先生は……あのKと先生とに……出逢っていたのかも知れない……]