金草鞋 箱根山七温泉 江之島鎌倉廻 四谷 藤澤
これでやっと、次回、守備範囲の江の島に突入!
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四谷 藤澤
四谷より半道ゆきて藤澤宿(しゆく)なり。このところ、遊行寺(ゆぎやうでら)の前の橋をわたりて、荏之嶋(えのしま)道なり。これより二里、片瀨村、日蓮上人の寺あり。荏之嶋入口(いりくち)の渡しをうちこし、鳥居前にいたる。兩側(かは)に茶屋、軒をならべ、にぎはヘり。嶋の入口、七八丁の間、潮のひたる時は徒(かち)ゆく。潮みちたる時は船渡しなり。
〽狂 けさやどをたつの
くちまで
きはめけん
馬のかたせを
おりるたび人
旅人
「さてさて、今日も天氣がすこしなまけてまいりました。これまでは奇妙なことには、私(わたし)が旅へでると天氣つゞいて、この前も五十日ばかり旅へ出て、毎日、日にてらされて、體(からだ)がいつそひあがつてかへりましたが、今度(こんど)はこんなにふつたりてつたりいたしますから、これでは生干(なまび)になつてかへるでござりませう。」
「さやうさやう、私はまた、どうも、ふられてなりませぬ。去年(きよねん)も旅へ出て、ふられたほどに、ふられたほどに、後(のち)にはいつそう體がふやけて、どこもふくれてかへりましたが、その時、内(うち)の山の神がおこつて申には、
『旅では憂(う)い目辛(つら)い目にあふものだから、人は旅へゆくと、やせてかへるに、お前はそんなにふとつてかへりなさつたは、旅でおもろいことがあつたのだ。妾(わたし)には、留守で苦勞をさせ、何がおもろかつた。』
と腹をたつから、
『これこれ、そうではない、このふとつたのは雨にぬれて、總身(そうみ)がふやけたのだ。おもしろいことがあつてふとつたではない。』
といふと、女房が、
『そんなら、そうかへ、お前は平生(へいぜい)ほそい所があつたが、何處(どこ)も彼處(かこ)も、ふとつたといひなされば、妾はなによりかそれがうれしい。』
と申して、機嫌(きげん)がなをつたから、大笑(わら)ひさ。」
[やぶちゃん注:「日蓮上人の寺」龍口寺。
「荏之嶋」漢字表記は以下の本書の記載のものを用いた。
「これまでは奇妙なことには、私が旅へでると天氣つゞいて、この前も五十日ばかり旅へ出て、毎日、日にてらされて」鶴岡氏の翻刻では「でると天氣つゞいて、この前も五十日ばかり旅へ」の部分がない。]
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