西東三鬼句集「變身」 昭和三十四(一九五九)年 九六句
昭和三十四(一九五九)年 九六句
宇都宮大谷採石場 五句
落葉しつかな木々石山に根を下ろし
遺愛山掘り掘つてどん底霧沈む
面壁の石に血が冷えたがねの香
巨大なる影も石切る地下の秋燈
切石負い地上の秋へ一歩一歩
木の林檎匂ひ火山に煙立つ
冬耕の短き鍬が老婆の手
冬に生ればつた遲すぎる早すぎる
けもの臭き手袋呉れて行方知れず
信濃 五句
黑天にあまる寒星信濃古し
個々に太陽ありて雪嶺全しや
地吹雪の果に池あり虹鱒あり
卵しごきて放つ虹鱒若者よ
月光のつらら折り持ち生き延びる
滿開の梅の空白まひる時
豐隆の胸の呼吸へ寒怒濤
霰うつ嚴に渇きて若い女
寒の濱婚期の焰焚火より
春の小鳥水浴び散らし弱い地震
世田谷ぼろ市 五句
寒星下賣る風船に息吹き込む
寒夜市目なし達磨が行列す
寒夜市餠臼買ひて餠つきたし
ぼろ市に新しきもの夜の霜
ぼろ市さらば精神ぼろの古男
[やぶちゃん注:「世田谷ボロ市」は、天正六(一五七八)年に小田原城主北条氏政がこの地に楽市を開いたのが始まりとされ、世田谷を代表する伝統行事として四百年以上の歴史を有し、現在も続いている。当初は古着や古道具・農産物などを持ち寄ったことから「ボロ市」という名前がついたとされてるが、現在では骨董品・日用雑貨・古本や中古ゲームソフトを売る露天もあり、代官屋敷のあるボロ市通りを中心に、約七百店の露天が所狭しと並び、毎年多くの人々で賑う。(三瓶嶺良(さんぺいれいら)氏の「がんばれぼくらの世田谷線~東急世田谷線ファンサイト~」の「世田谷ボロ市」の記載に拠る)]
うぐひすや水を打擲する子等に
腰伸(の)して手を振る老婆徒長の麥
[やぶちゃん注:「徒長」は「とちょう」と読み、日光不足(より強い光を求めて上へ上へと伸長する結果瘦せる)・水分過多(水太りのようになって急速な細胞分裂が生じ、縦に無意味に伸び、結果、各細胞の細胞壁が薄い状態が持続してしまう)・栄養不足(細胞壁の堅固な生成に必要な窒素を補給出来ず細胞壁が薄いまま分裂してしまう。但し、栄養不足で徒長が必ず植物に起こるという訳ではなく、各植物の性質に拠るが、徒長せずに普通に育つものでも、極度に脆いというケースの方が多い)・栄養過多(稀なケースで、窒素が過剰だと勢いよく生長し、結果として徒長してしまうことがある)などが原因で起こる植物の状態を指す語。株全体がヒョロヒョロと縦に長く生長し、正常に育った個体と比べると病弱虚弱で、野菜の場合は収穫量が減り、園芸植物の場合は花の数が極端に減る。生物学的には総じて細胞壁が薄くなるため、葉を食害する虫にとっては大変食べやすく、アブラムシなどの汁を吸う虫にとっても大変吸いやすい状態となる。また、ウィルス等から身を守る細胞壁の薄化は免疫力の低下を齎し、結果として病気にも罹患し易くなる。多くの場合は水分過多も平行して併発しているので、水分さえ適量ならば栄養過多で徒長することはあまりない(以上はサイト「園芸百科事典 おもしろ野菜」の「徒長」に拠った)。]
火の山のとどろく霞船着きぬ
生ぱんと女心やはらか春風
[やぶちゃん注:「生ぱん」生パン。焼いていないパン、また、パン作り工程上で焼く直前のパン生地状態のもの、あるいはトーストしていない食パンの謂いであるが、最後のものであろう。]
西方に春日紅玉死にゆく人
晝のおぼろ泉を出でて水奔る
舐め癒やす傷やぼうぼう木の芽山
黑眼ひたと萌ゆる林を出で來たる
椿ぽとりと落ちし暗さにかがむ女
男等萌え女等現れ春の丘
種まく手自由に振つて老農夫
筍の聲か月下の藪さわぐ
夜が明ける太筍の黑あたま
横濱 七句
巨大な棺五月プール乾燥し
光り飛ぶ矢新樹の谷に的ありて
沖に船氷菓舐め取る舌の先
眼鏡かけて刻む西曆椎の花
椎どつと花降らす下修道女
船の煙突に王冠三つ汗ばむ女
煙と排水ほそぼそ北歐船晝寢
新じゃがのえくぼ噴井に來て磨く
燕の巣いそがしデスマスクの埃
春畫に吹く煙草のけむり黴の家
岩沈むほかなし梅雨の女浪滿ち
犬も唸るあまり平らの梅雨の海
畑に光る露出玉葱生き延びよと
言葉要らぬ麥扱母子影重ね
麥ぽこり母に息子の臍探し
麥殼の柱竝み立て今も小作
踊の輪老婆眼さだめ口むすび
炎天の「考える人」火の熱さ
黑雲から風髮切蟲鳴かす猫
全き別離笛ひりひりと夏天の鳶
海溝の魚に手觸れて泡叫ぶ
蟹死にて仰向く海の底の墓
沖に群れ鳴る雷濱に花會
逃げ出す小鳥も銜える猫も晩夏一家
朝草の籠負い皺の手の長さ
蟲鳴いて萬の火花のしんの闇
蠅と遊ぶ石の唐獅子磯祭
棒に集る雲の綿菓子秋祭
波なき夜祭芝居は人を斬る
一夜、草田男氏笑っていう、
「一九〇〇年生まれの三鬼は一九世紀、
一九〇一年生まれの我は二〇世紀」と
汗舐めて十九世紀の母乳の香
象みずから靑草かずき人を見る
ゴリラ留守の炎天太きゴムタイヤ
死火山の美貌あきらか蚊帳透きて
秋滿ちて脱皮一片大榎
露の草嚙む猫ひろき地の隅に
昔々の墓より墓へもぐらの路
白濁は泉より出で天高し
秋の蜂群がり土藏龜裂せり
女顏蜘蛛の巣破り秋の森
學僧も架くる陸稻も蒼白し
草城先生遺宅 二句
實となりし草はら遺愛の猫瘦せて
死靈棲みひくひく秋の枝蛙
須磨水族館 三句
美女病みて水族館の鱶に笑む
新しき今日の噴水指あたたか
乾き並ぶ鯨の巨根秋の風
松山へ 三句
水漬くテープ月下地上の若者さらば
露の航ペンキ厚くて女多し
力士の臍眠りて探し秋の航
予志と八句
松山平らか歩きつつ食ふ柿いちじく
秋日ふんだん伊豫の鷄聲たくさん
あたたかし金魚病むは予志の一大事
赤き靑き生姜菓子賣る秋の暮
城高し刻み引き裂き點うつ百舌鳥
切れぬ山脈柿色の柿地に觸れて
小屋ありて爺婆ひそむ秋の暮
みどり子が奥深き秋の鏡舐め
[やぶちゃん注:谷野予志(たにのよし 明治四〇(一九〇七)年~平成七(一九九五)年)俳人。本名は谷野芳輝。旧制松山高等学校を経て京都大学英文科を卒業、愛媛大学教授。昭和九(一九三四)年より作句を始め、水原秋櫻子の『馬酔木』と『京大俳句』に投句。昭和一四(一九三九)年「馬酔木」同人となるが、昭和二三(一九四八)年に山口誓子の『天狼』創刊とともに『馬酔木』を辞し創刊同人として参加した。昭和二四(一九四九)年『炎昼』創刊主宰。三鬼より七つ下の松山の『天狼』派(「インターネット俳句センター」の「谷野予志」に拠る。彼の句は同所の「谷野予志の俳句 秀句とその鑑賞」で読める。]
藤井未萌居 二句
文鳥の純白の秋老母のもの
旅ここまで月光に乾くヒトデあり
[やぶちゃん注:「藤井未萌」桜楓社「新訂俳句シリーズ・人と作品13 西東三鬼」の「三、松山行」の二八二~二八三頁によれば、『天狼』派の俳人で伊予市の内科医。]
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