耳嚢 巻之六 遁世の夫婦笑談の事
遁世の夫婦笑談の事
ある富家(ふうか)の町人、五十にちかきが、悴(せがれ)へ跡をゆづりて其身隱宅へ引(ひき)移り法體(ほつたい)せしに、妻なるもの、是もともに法心して比丘尼となりくらせしが、妻は三十四五歳にもなりしか、予がしれる醫者のもとへ呼(よび)に人こしけるゆゑまかりし處、比丘尼出産して、産籠にかゝりて麻苧(まを)など襟へかけ、かたへにうぶ子のなく聲など、いと似氣(にげ)なき體(てい)にて可笑しかりしと、語りぬ。
□やぶちゃん注
○前項連関:この「予が知れる醫者」とは、前話の「婦人の療治、産の取扱功者と人の沙汰せし山田齊叔といへる醫師」と妙に合致する印象がある。兎も角も産科医ニュース・ソースで関連する。まあしかし何だか冒頭、やっとほっとする笑話ではある。法体(ほったい)の夫を描写していたら、もっと面白かったろうに、とは欲張りな話か。
・「産籠」これについては、底本の鈴木氏注が詳細を極める。本語について解説した諸本を他に見ないので、例外的に以下に全文を引用したい。
《引用開始》
川柳の句に「産籠で子供の遊ぶ軽いこと」というのがあり、『川柳大辞典』に、怪我の心配など無しと釈し、「産籠の大間違ひは姑なり」の句に、余所の子と聞違ひしか、と釈し、産籠とは、産児を入れて置く籠のことで、子守を置かぬ家はみなこれを用いたと説明し、他の辞典にも同説が見られるが、疑問である。句の「軽いこと」とは、産が軽いことで、赤子が怪我をせぬ意味ではない。また「産籠の大間違」とは、産婦が逆上などして大事にいたることを意味していよう。姑の仕打から産婦がかっとして赤子を圧殺するとか、俗に血が上がる病症になったというので、産籠は出産のための道具で、育児用でないことがわかる。ところが『柳多留』初篇に「産ン籠の内で亭主をはゞに呼び」とある句は、産婦がこの中に入ることを示して居り、古典文学大系の頭注には、出産をする時はいる籠と注してある。これを安産後にさっそく嬰児用に転用したことになる。昔は坐産が多かったから、横長の寝床のような形を想像するのは誤りで、だから籠で事足りたのであろうが、実物を見たことはない。坐産の時力縄を天井から下げて摑み、分娩後は布団を積み重ねてよりかかり、肥立つに従って低くして行くという方法もとられた。
《引用終了》
私の一読、子守駕籠をイメージしていたので、この坐産用の妊婦が入る籠状の用具という注は驚きであった(岩波版長谷川氏注も同様に注する)。
――しかし、これだけはっきりと鈴木氏が出産用具として述べているのに、氏自身がそうした坐具を見たことがないというのは、如何にも不審である。
――出産儀礼を研究されておられる民俗学研究者の方の御教授を乞うものである。
――如何なる形状で、どのように用いたのか?
――残っていないというのは血の穢れ故か?
――しかし、だとすれば産後転用というのも解せないではないか?
――きっと、何処かに、違った名前で残っているはず、と信じたいのである。
……〈インターミッション〉
――本注を書いてから、一晩、考えた。
――実はこれは、
×「産籠(さんかご)」
と読むのではなく
〇「産籠(ウブコモリ・ウミコモリ)」「産籠(ウブコ・ウミコ)」「産籠(サンコ)」
と読むのではなかろうか?
――即ち、
〇「産屋(ウブヤ)」「産小屋(ウブゴヤ)」
の変化したものとしてである。
昭和二六(一九四九)年東京堂出版刊柳田國男監修「民俗學辭典」(これ、国学院大学に入学した四月に所持必須と言われて半強制的に買わされた辞書であるが、実に三十八年後に初めて私の手によってまともに引かれたという気がする。定価二八〇〇円……貧乏学生だった当時の私にはほぼ五日分の食費に相当した。……底本通り、旧字(!)のままに引用する)の「産屋」の項に、古くは『産婦が産の忌』のために一定期間『別火生活をする所』として建てられた小屋を指し、『轉じて産の忌の期間をウブヤ・オビヤ・オブヤなどと呼ぶところがある』と記し、『佐渡ではコヤタッタというと家の納戸にお産をしに入ることをさす』とし、『現在では一つの家でウブヤという建物を持っている例は少ないが、神職の家などにはまだ見ることとができる。共同の小屋に別居するか、あるいは各家の納戸、ニハの隅などをウブヤ宛てている例なら所々に見られ』、『これらの大部分は、婦人の月事の間を籠る所も同じであったようだが、例へば八丈島にはコウミヤ、三宅島には子持カドと稱する産屋が、月事の小屋とは別に設けられていた』とある。本話の主人公夫婦は遁世僧と比丘尼という変わったカップルである。正式なものであったどうかは別として(浄土真宗ならば当時でも合法的に可能である)、恐らくは得度の真似事のようなことは金に任せてしていると考えてよい。そうした「現世のあらゆる煩悩」特に「欲を離れて」「後世を念ずる」「自らを不断に潔斎しせんとする」夫が、「日々愛しみ抱いているところの」妻の月々の血の穢れたる生理や「二人の子」の出産のために、遁世の庵の一角にそうした「不浄禁忌」を目的とした装置を附置していたとしても、「全くおかしくない」。――いやいや! 可笑しくないよ!――この庵全体は閉じられた系であり、そこは彼ら夫婦にとっては全く無矛盾な世界であったのであるからして――これはゲーデルの不完全性定理に則って――彼らには「真」として認識されていたのである。
やはり、識者の御教授を俟つ。現代語訳では敢えて「うぶこ」と訓じて差別化しておいた。
・「麻苧」「あさを(あさお)」とも。麻や苧(からむし:イラクサ目イラクサ科カラムシBoehmeria nivea var. nipononivea。南アジアから日本を含む東アジア地域まで広く分布し、古来から植物繊維を採取するために栽培された。苧麻(ちょま)。)の繊維で作った糸。このカラムシの繊維で織った布に晒し加工をした奈良晒(さらし)は、武家の裃(かみしも)を始め、帷子などに用いられ、古くは鎌倉時代に南都寺院の僧尼の衣や袈裟用に法華寺の尼衆や西大寺周辺の女性たちが織りだしたと伝えられている。ここでは何やらん、そうした古義めいた尼の装束を言っているように思われる。
■やぶちゃん現代語訳
遁世の夫婦の笑話の事
とある裕福なる町人にて、五十にも近き者、これ、倅(せがれ)へ跡を譲ると決め、その身は隠居所へと引き移っては、遁世の覚悟もしっかりと、法体(ほったい)まで致いて御座ったと申す。
その妻なる者、これも夫とともに法心を起こして薙染の真似事を致いては比丘尼(びくに)の姿となって、法体の夫と並んでともに暮らすことと相い成って御座ったと申す。
ところが――この妻、三十四、五歳にもなって御座ったか――ある日のこと、私の知れる医者の元へ、人を使(つこ)うて往診を呼びに来たった故、罷り越したところが……
――この比丘尼、出産の直後にて……
――尼削ぎのままに……
――産籠(うぶこ)の中へとちんまりと坐って……
――それがまた、苧麻……(ちょま)で出来た尼めいた襟(えり)なんどをも掛け……
――そうしてまた、その傍らには……
――フンギャア! フンギャア!
――と、まあ、これ、元気なる子(こお)の、産声(うぶごえ)…………
「……いや……なんとも、まあ……如何にも場違いなる体(てい)にて……可笑しゅう御座った……」
と、その医師の話にて御座ったよ。