西東三鬼句集「今日」 昭和二十四(一九四九)年 八四句
昭和二十四(一九四九)年 八四句
照る沖へ馬にまたがり枯野進む
人が焚く火の色や野の隅々に
枯原を奔るや天使圖脇ばさみ
そのあたり明るく君が枯野來る
西赤し支離滅裂の枯蓮に
蜜柑地に落ちて腐りて友の戀
赤き肉煮て食ふ蜜柑山の上
姉の墓枯野明りに抱き起す
三輪車のみ枯原に日は雲に
柩車ならず枯野を行くはわが移轉
枯野行く貧しき移轉にも日洩れ
火の玉の日が落つ凍る田を殘し
枯野の木人の齒を拔くわが能事
かじかみて貧しき人の義齒作る
氷の月公病院の畑照らす
モナリザ常に硝子の中や冬つづく
掘り出され裸の根株雪が降る
煙突の煙あたらし亂舞の雪
過去そのまま氷柱直下に突刺さる
供華もなし故郷の霰額打つ
雪山に雪降り友の妻も老ゆ
垂れ髮に雪をちりばめ卒業す
崖下のかじかむ家に釘を打つ
枝噂らす枯木の家に倒れ寢る
いつまでも冬母子病棟の硝子鳴り
屋上に草も木もなし病者と蝶
日曜日わが來て惚るる大樹の根
遠く來てハンカチ大の芝火つくる
跳ねくだる坂の林檎や日向めざし
電柱が今建ち春の雲集ふ
春泥に影濡れ濡れて深夜の木
[やぶちゃん注:「濡れ濡れ」の後半は底本では踊り字「〱」。]
仰ぎ飮むラムネが天露さくら散る
一齊に土掘る虹が消えてより
頭惡き日やげんげ田に牛暴れ
メーデーの明るき河に何か落つ
新樹に鴉手術室より血が流れ
首太くなりし夜明の栗の花
犬も唸る新樹みなぎる闇の夜は
ほくろ美し靑大將はためらはず
女醫の戀梅雨の太陽見えず落つ
塔に眼を定めて黑き燒野ゆく
胸いづる口笛牛の流し目に
やはらかき紅毛の子に蛇くねる
わが家より旅へ雜草の花つづく
黄麥や惡夢背骨にとどこほり
喬木にやはらかき藤梟けられし
手を碗に孤兒が水飲む新樹の下
身に貯へん全山の蟬の聲
西日中肩で押す貨車動き出す
濁流や重き手を上げ藪蚊打つ
鐡棒に逆立つ裸雲走り
夕燒けの牛の全身息はづむ
[やぶちゃん注:底本では「はづむ」の「づ」の右にママ注記。]
爪立ちに雄鷄叫ぶひでり雲
大旱の田に百姓の靑不動
炎天の坂や怒を力とし
緑蔭にゲートル卷きし大き晝寢
生創に蠅を集めて馬歸る
翼あるもの先んじて誘蛾燈
きりぎりす夜中の崖のさむけ立つ
わが家の蠅野に出でゆけり朝のパン
颱風の最後の夜雲蛙の唄
横すべる浮塵子(うんか)を前に死を前に
松の花粉吸ひて先生胡桃割る
鐡塊の疲れを白き蚊帳つつむ
耶蘇ならず靑田の海を踏み來るは
颱風の崖分けのぼる犬の體
山削る裸の唄に雷加はる
唄一節晩夏の蠅を家族とし
青葡萄つまむわが指と死者の指
眠おそろし急調の蟲の唄
海坂に日照るやここに孤絶の茸
仕事重し高木々々と百舌鳥移り
雲厚し自信を持ちて案山子立つ
汗のシヤツ夜も重たく體輕し
抱き寢る外の土中に芋太る
饅頭を夜霧が濡らす孤兒の通夜
初蝶や波郷に代り死にもせで
坂上の芋屋を過ぎて脱落す
大枯野壁なす前に齒をうがつ
女醫の手に拔かれし臟腑湯氣を立つ
死後も貧し人なき通夜の柿とがる
孤兒孤老手を打ち遊ぶ柿の種