西東三鬼句集「變身」 昭和二十八(一九五三)年 一一三句
昭和二十八(一九五三)年 一一三句
電線がつなぐ電柱枯るる中
沖遠し靑年が釣り河豚鳴けり
皮のまま林檎食ひ缺く沖に船
孤兒癒え近しどんぐり踏みつぶし
犬の戀のせて夜明けの土寒し
蝮の子頭くだかれ尾で怒る
海峽に髮逆立てて釣るは河豚
雪山呼ぶO(オー)の形の口赤く
月光に黑髮炎ゆる霜の草
落葉降る動かぬ雲より鐡道へ
共に寒き狂者非狂者手をつなぐ
月光と霜と荒野を電報來し
赤子泣き凍天切に降りいでぬ
黑き人々河原燒く火に手をかざす
大寒の電柱一本まつすぐ立つ
仁森啓之に
金屬の脚が零下の地を進む
[やぶちゃん注:「仁森啓之」不詳。識者の御教授を乞う。]
年新し頭がちの雀眼をつむる
餠ふくらむ荒野近づく聲ありて
日雇の焚火ぼうぼう崖こがす
裸田を眞直ぐに農夫風と來る
寒の水地より噴き出で血のごとし
空靑しかじかむ拳胸を打つ
老兄を見舞う 五句
癌の兄聲音しづかに受話器を來る
死病の兄眞向う囘轉椅子囘し
膝に菓子の粉こぼれ兄弟死が近し
昇降機に老いし兄弟顏近し
癌の兄と別れ直ぐ泣く群集裡
[やぶちゃん注:三鬼、本名斎藤敬直(けいちょく)は明治三九(一九〇六)年に父を胃癌で、大正七(一九一八)年には母をスペイン風邪で亡くし、その直後に日本郵船に勤務していた長兄武夫に引き取られた。長兄も胃癌、後に三鬼も胃癌で亡くなっている。]
木枯も使徒の寢息もうらやまし
つらら太りほういほういと泣き男
ピアノ烈し氷の月は樹の股に
極寒の寢るほかなくて寢鎭まる
脱走せり林檎すかりと皿に置き
あとかたもなし雪白の田の昨日(きのう)
暗き春桃色くねるみみずの子
老人の小走り春の三日月へ
泥濘のつめたさ春の城ゆがむ
花冷えの城の石崖手で叩く
あかつきの鶯のあと雀たのし
春は君も鐡材叩き唄うかな
考えては走り出す蟻夜の卓
たんぽぽ莖短し天心に靑い穴
春園のホースむくむく水通す
重き夜の中さくら咲き犬走る
硝子割れ病者に春の雲ぢかに
さくら冷え老工石切る火花
ふるえ止まぬ車内の造花春の暮
五月の地表より光る釘拾い上ぐ
息せるや菜の花明り片頰に
病舍へ捧げゆく新しき金魚と水
戀過ぎし猫よとかげを食ひ太れ
葱の花黑き迅風に雲ちぎれ
[やぶちゃん注:「迅風」は「はやて」と読む。]
黄麥の上に雲雀の唄死なず
光つつ五月の坂を登りくる
濡れて貧しき土に鐵骨ある五月
みどり子の頰突く五月の波止場にて
頭暑し沖なき海の動かぬ船
畦塗るを鴉感心して眺む
靑崖の生創洗い梅雨ひそか
燕の巣に雀住みつき暑苦し
蛙の唄湧き滿ちて星なまぐさし
咆えてもみよ住きては復る泥田の牛
[やぶちゃん注:「住きては」は「ゆきては」で、「復る」は「かえる」であろう。「もどる」はどうも音が悪い。]
びしょ濡れの梅雨川切つて蛇すすむ
鐵の手に紙箱萎(な)えて雨期永し
黄麥につつたち咽喉に水注ぐ
栗の花われを見拔きし犬ほゆる
父のごとき夏雲立てり津山なり
[やぶちゃん注:三鬼は明治三三(一九〇〇)年五月十五日に岡山県苫田郡津山町大字南新座に生れた。]
平らなる大暑と靑田農夫小さし
湯原温泉
[やぶちゃん注:「湯原温泉」は「ゆばら」と読み、岡山県県北の真庭市湯原温泉豊栄(とよさか:旧湯原町。)にある温泉。砂湯で知られ、湯郷温泉・奥津温泉とともに美作三湯と呼ばれる。]
川湯柔か高くひぐらし低く河鹿
湯の岩を愛撫す天の川の下
室賀氏母堂獨り住む
靑谷に母うつくしく鯉ふとる
[やぶちゃん注:「室賀氏」三鬼は昭和二三(一九四八)年に山口誓子を擁して『天狼』を創刊して編集長となるが、同年、同時に「激浪」を主宰し、その発行所を津山市上之町の室賀達亀方に置いている。この人物であろう。]
老兄を見舞う 三句
徴の家跳びだし急行列車に乘る
梅雨富士の黑い三角兄死ぬか
梅雨烈し死病の兄を抱きもせず
梅雨去ると全き圓の茸立つ
揚羽となり裂けし大樹を離れたり
赤松の一本ごとの西日立つ
機關車の瘤灼け孤り野を走る
[やぶちゃん注:「孤り」は「ひとり」と読ませていよう。]
梅干舐む炎天遠く出でゆくと
炎天に聲なき叫び下駄割れて
猫に啼き歸るところあり天の川
合歡咲けりふるさと乙女下駄ちさし
荒園の力あつまり向日葵立つ
八方にスト雲までの草いきれ
基地臭し炎天の犬尾をはさみ
空手涼し三日月よりの風ひらひら
土ひややか空洞の松伐り倒され
秋滿つ寺蝶の行方に黑衣美女
吠える犬秋の濁流張り流れ
眼帶の内なる眼にも曼珠沙華
葉山、千賀夫人に
羊齒裏葉にぎやか弓子夫人癒えよ
[やぶちゃん注:「千賀夫人」は恐らく「弓子夫人」と同一人物と思われるが、不詳。]
片蔭の家の奧なる眼に刺さる
雷落ちしや美しき舌の先
秋風に光る根株へ磯づたう
ちちろ聲しぼり鐵塔冷えてゆく
憂し長し鰯雲への滑走路
濁流や秋の西日に蝶染まり
崖となりつつ秋の石塊個々光る
石工若し散る石片が秋の花
露乾き農の禿頭ゆらゆら行く
金蠅とかまきり招きわが燈火
稻雀笑いさざめく朝日の樹
梢さしひらめく鵙や土工掘る
秋の蜂若き石工の汗舐めに
案山子ならず拳で顏の汗ぬぐう
雌が雄食ふかまきりの影と形
長兄遂に死す 五句
通夜寒し居眠りて泣き覺めて食う
死顏や林檎硬くてうまくて泣く
兄葬る笙ひちりきや齒の根合はず
ごうごうと燒きつくす音兄も菊も
箸はさむ骨片の兄許し給え