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2013/01/26

金草鞋 箱根山七温泉 江之島鎌倉廻 荏之嶋辨才天

      荏之嶋辨才天

 

 金龜山荏之嶋辨才天(きんきさんゑのしまべんざいてん)は、上(かみ)の宮、下(しも)の宮、本宮(ほんぐう)、御旅所(おたびしよ)、いづれも結構華麗なり。別當岩本院、上(かみ)の坊、下の坊あり。また、窟(いわや)の辨天、洞(ほら)穴の中(うち)にたゝせ玉ふ。東國扶桑(ふそう)の景致(けいち)なり。名物、貝細工いろいろ、鮑(あはび)の粕漬(かすづけ)あり。春は江戸の休客(きうかく)、參詣おほく、いたつてにぎはしく群集(くんじゆ)なすは、まつたく御神(かみ)の利生(りせう)いちじるき故(ゆへ)なり。毎年四月上(かみ)の巳(み)の日、巳の刻に、窟本宮(いわやほんぐう)より山上の御旅所まで、音樂にて祭禮あり。

〽狂 むらさきのかすみに

    あけのたまがきや

  ごくさいしきのえの

    しまのけい

「なんと、昔の淸盛(きよもり)といふ人は、嚴島(いつくしま)の辨天さまにほれたといふことだが、俺等(おいら)もどうぞ、辨天さまを女房にはしいものだ。」

「とんだことをいふ。貴樣(きさま)と淸盛と一つになるものか。淸盛は佛(ほとけ)を妾(めかけ)にした人だから、その筈(はづ)の事だ。」

「イヤ、そういふな。俺(おれ)も佛を妾にしたことがあつた。」

「なに、貴樣の妾の佛といふは、何時(いつ)ぞや、貴樣の家(うち)に食客(いそうろう)にゐた比丘尼婆々(びくにばゞあ)のことであらう。世間には、いろいろがある。己(おら)が隣りの割鍋(われなべ)、その亭(てい)主が、綴蓋(とぢぶた)を女房にしてゐるは相應だが、その向かふの下駄(げた)屋の女房は燒味噌(やきみそ)。まだつりあはぬは、新道(しんみち)の提燈屋(てうちんや)の亭主は、釣鐘(つりがね)を女房にもつてゐる。」

「これこれ、割鍋屋の綴蓋もよし、下駄屋の燒味噌といふは、あの嬶(かゝあ)は燒き手(て)だといふことだから、それで燒味噌はきこへたが、提燈屋の女房を釣鐘といふは、どうしたわけだ。」

「イヤ、女房の渾名(あだな)を釣鐘といふは、御亭主のつくたびに、いつも、うんうんと、うなるそうだから、それで釣鐘といひます。」

[やぶちゃん注:江ノ島の詳細は新編鎌倉志巻之六の「江島」及び鎌倉攬勝考卷之十一附録の「江之島」の項を参照されたい。

「御旅所」神社の祭神が神輿・鳳輦また船などで神幸した際、仮に遷座する場所のこと。頓宮・御輿宿・御旅宮などともいう。これは現在では江の島の奥津宮(本宮)そのものを言う。鎌倉攬勝考卷之十一附録の「江之島」の項に、

本宮御旅所 毎年四月上旬初巳より、十月初亥日迄は、此山上の宮に遷座、仍て神體其餘寶器も、皆山上の假宮に移し奉る。

とあり、また同「例祭」の項には、

例祭 毎年四月初巳日、龍窟より辨財天を神輿に遷し奉り、別當岩本院を始とし、社僧神人行装を整へ、音樂を奏し、御旅所え遷座。此節は参詣の緇素、群をなせり。十月初亥日、又龍窟へ還幸、行装前後同じ。

引用文中の「緇素」の「緇」は黒、「素」は白で、僧と俗人の衣服から、僧俗の意である。以上から考えると、本宮と御旅所は別箇な建物ではなく、恐らくは祭礼時に本宮をハレの場として御旅所・仮宮と別に呼称したもののように思われる。

「扶桑」日本国の異称。

「景致」自然の有り様や趣き。風趣。

「窟本宮」引用で分かるように龍窟を指し、現在の第一窟に相当する。昔はここに現在の辺津宮(下の宮)にある弁財天が祀られていた。

「嚴島の辨天」宮島の大願寺蔵の厳島弁財天像。江の島と琵琶湖の竹生島とともに日本三弁財天と称される。空海作と伝えられる秘仏で、現在は年に一度、六月十七日にのみ開帳される。

「淸盛は佛を妾にした」晩年の清盛が寵愛した白拍子仏御前に掛けた洒落。

「比丘尼」江戸期、尼の姿をした下級売春婦をかく呼称した。

「己が隣りの割鍋、その亭主が、綴蓋を女房にしてゐる」話者の隣人は、鋳掛屋であった(後文で「割れ鍋屋」と出る。銅や鉄の鍋釜を鞴持参で修理した行商人)のに、「割れ鍋に綴じ蓋」の諺を掛けた洒落。「割れ鍋に綴じ蓋」とは、破損した鍋であっても、それに似合う蓋があることの謂いから、どんな(一般には不細工不器用な)人にもそれなりに相応しい配偶者があるという譬え、又は、主に男女というものは似通った者同士の組み合わせが上手くゆくという譬えとして用いられるが、所謂、褒め言葉としては通常、使われない。

「下駄屋の燒味噌」斜め向かいの亭主が下駄屋であったことを、「下駄と焼味噌」という諺に掛けた洒落。味噌を板や箆につけて焼いた焼き味噌と、履き心地と持ちをよくするために材を焼いた杉下駄は、その形だけしか似ていない、という意から、外形は似ているが実質は全く異なることの譬え。

「新道」恐らくは話者の住むのは裏長屋の路地で、そこよりやや広い道が、新道とか小路とか呼ばれ、道幅が九尺(約三メートル)以上あった。

「きこえたが」この「きこゆ」は相手の言うことを納得して認めることが出来る。物事の訳が理解出来るの謂い。分かったが。

「提燈屋の亭主は、釣鐘を女房にもつてゐる」は提燈屋の亭主に「提燈に釣鐘」、「割れ鍋に綴じ蓋」の逆で、形は似ていても重さに格段の違いがあるところから、物事の釣り合わないことの譬えの諺を掛けた洒落。なおこれは、一方が重い、すなわち「片重い」であるから、片思いの洒落としても用いる。……但し、最後の明らかになるように、これには、そうではなく……美事にエロティックな洒落が掛けられているのである。]

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