西東三鬼句集「旗」 昭和14(1939)年 Ⅰ
昭和十四(一九三九)年
天路
空港に憲兵あゆむ寒き別離
機の車輪冬海の天に廻り止む
光る富士機の脇腹にあたらしき
冬天に大阪藝人嘔くはかなし
枯原を追へるわが機の影を愛す
寒き別離安全帶(ライフバンド)を固く締め
滑走輪冬山の天になほ廻る
械の窓に富士の古雪吹き煙る
紅き林檎高度千米の天に嚙む
寒潮に雪降らす雲の上を飛ぶ
冬天に彼と我が翼を搖る挨拶
冬靑き天より降り影を得たり
わが來し天とほく凍れり煙草吸ふ
金錢
金錢の街の照り降り背に重し
金錢に怒れる汗を土に垂る
金錢の一片と裸婦ころがれる
數日
高原の向日葵の影われらの影
童子童女われらを笑ふ靑き湖畔
湖畔亭にヘヤピンこぼれ雷匂ふ
仰ぐ顏暗し靑葉宙にある
暗き湖のわれらに樺は星祭り
夜の湖あゝ白い手に燐寸の火
湖を去る家鴨の卵手に嘆き
雷と花
厭離早や秋の舖道に影を落す
顏丸き寡婦の曇天旗に滿つ
雷と花歸りし兵にわが訊かず
腹へりぬ深夜の喇叭霧の奧に
月夜少女小公園の木の股に