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2013/01/20

耳嚢 巻之六 至誠神のごとしといへる事

 至誠神のごとしといへる事

 元文の頃、久留米の家士に深井甚右衞門とて、鑓術(さうじゆつ)の名人と人も稱しける。門弟多くありしが、同家中に、至て不器用にて殊外(ことのほか)鑓術熱心にて、三ケ年の暇(いとま)をねがひ深井に隨身(ずいじん)して日々出精しけるが、年限滿(みち)て故郷へ歸候暇乞(いとまごひ)に、右師範のもとへ來りて申けるは、是まで格別の丹精に預りしが、御存(ごぞんじ)の通り不器用にて、三年修業致候得(いたしさふらえ)ども、未(いまだ)表裏のかたさへ覺へ兼(かね)候、在所へ歸り候ても、鑓もたせ候身分故、自分一己(いつこ)のたしなみになり候程の修業仕度(つかまつりたく)、如何致可然哉(いたししかるべきや)と問(とひ)けるに、甚右衞門もあきれて答(こたへ)に當惑なしけるが、流石(さすが)甚右衞門故(ゆへ)答へけるは、歸國の上、何になりとも目當を致(いたし)、竹刀(しなひ)にて日夜朝暮、無懈怠(けだいなく)、突被申(つきまうされ)候より外の事はあるまじと、教諭して互(たがひ)に分れけるが、三年程過ぎて、無程(ほどなく)在番にて江戸へ出、師匠の許へ參りけるに、折節稽古日にて弟子も大勢集り居て、彼(かの)不器用人なりとみなみな嘲り笑ひしに、師匠對面の上、如何執行(しゆぎやう)いたされしやと尋(たづね)ければ、在所へ歸り候日より、教(をしへ)にまかせ、屋敷内に三尺廻りの杉の木を、日夜懈怠なく突(つき)候て、向ふまで穴を突明け候と申けるゆゑ、能くも執行し給ふと稱美にて、幸ひ今日稽古なれば試(こころみ)られ候へと申けるゆゑ、しからば迚、鑓を取たちむかひしに、鑓先(やりさき)するどにて、名にあふ弟子どもたち合(あひ)けるに、思ふ所へ鑓先とゞきて、つけどもはれども一向にたはまず、ことごとく勝鑓(かちやり)にて皆突(つき)ふせられ、いづれもがを折(をり)、師範も感心の上、各(おのおの)方はおぼえ不被申候得(まうされずさふらえ)ども、其術すでに神妙に到りける也、則(すなはち)印可(いんか)を可致(いたすべし)とて、傳授なしける。誠に中庸に、至誠神(しん)に入(いる)とは、此事ならんか。

□やぶちゃん注

○前項連関:特に感じさせない。本巻最初の本格武辺物。

・「元文」西暦一七三六年~一七四〇年。「卷之六」の執筆推定下限は文化元(一八〇四)年であるから、六十年以上遡る。

・「如何執行いたされしや」底本には「執行」の右に『(修行)』と傍注する。

・「たはまず」岩波のカリフォルニア大学バークレー校版では『たわまず』で、これならば、「撓(たわ)む」で、①他から力を加えられて弓なりに曲がる。しなう。②飽きて疲れる。心が挫ける、の意となり、意味が通る。これを採用した。

・「印可」武道・芸道等で極意を得た者に与える許し。免許。

・「至誠神に入」本当の誠の心を以ってすれば、神の如く、総てを見切ることが可能となる、の謂い。正確には「至誠は神のごとし」で、「中庸」第二十四章に以下のように載る。

至誠之道、可以前知。國家將興、必有禎祥。國家將亡、必有妖孼。見乎蓍龜、動乎四體。禍福將至、善必先知之、不善必先知之。故至誠如神。

至誠の道、以つて前知すべし。國家、將に興らんとするときは、必ず禎祥有り。國家、將に亡びんとするときは、必ず妖孼(ようげつ)有り。蓍龜(しき)に見(あらは)れ、四體に動く。禍福、將に至らんとするときは、善も必ず先す之を知り、不善も必ず先す之を知る。故に至誠は神のごとし。

●「禎祥」福の兆し。

●「妖孼」禍いの兆し。

●「蓍見」の「蓍」筮(ぜい)によって占い、「龜」は亀卜すること。

●「四體」は動作威儀。

■やぶちゃん現代語訳

 至誠神の如しと言うに相応しき事

 元文の頃、久留米藩の家士に深井甚右衞門と申し、槍術(そうじゅつ)の名人と、人も稱した御仁が御座って、門弟も多くあられた。

 さても、同家中に、至って不器用ながらも、これ、殊の外、槍術に熱心なる者が御座って、国許へは三年の暇(いとま)を願い出、深井殿に隨身(ずいじん)して、日々精を出して修行精進致いたが、年限滿ちて故郷へと帰ることと相い成り、暇乞(いとまご)いとて、かの師範甚右衞門殿の元へ来たって申したことには、

「……これまで、師匠におかせられましては、拙者、格別の丹精を頂戴仕って御座いましたが……御存知の通り、拙者、如何にも不器用にて……三年、修業致しましたものの……未だ槍の表裏(おもてうら)の型さえ、これ、覚えかねて御座る次第……在所へ帰参致しましても、槍持ちを供に連れおる身分なればこそ……兎も角も……自分一己(いつこ)の嗜みとして、相応に、納得致すことの出来る、修業だけは、仕りたとう存じ……さても!……如何が致すが、宜しゅうございまするかッ……」

と問うたによって、甚右衞門殿も――かの者の不器用の極み、知れる者なれば――聊か、呆れて、一時、如何に答えんかと、内心、当惑致いて御座ったが――流石(さすが)に名人と謳われた甚右衞門なれば、

「――帰国の上は――如何なるものにてもよし、一つの目標を打ち立てて――竹槍にて、日夜、朝暮れ、一時たりとも怠らず――突いて突いて突きまくる――これより外の事は――あるまじい!――」

と教え諭して、その場は互いに師弟の礼を成して分れたと申す。……

 さても三年ほど過ぎて、かの不器用なる男、江戸勤番と相い成って江戸へ出、師匠の許へと再び挨拶に参ったが、その日は折節、深井道場の稽古日に当たって御座ったゆえ、古くからの弟子も大勢集まり居ったによって、

「ほぅれ! あの、かの不器用なる御仁の御再来じゃ!」

と、みなみな、これ見よがしに嘲り笑うておった。

 ところが、かの男と師匠、久々の対面の上、師匠より、

「……その後は、如何に修行なされたか?」

とお尋ねがあった。するとかの男は、

「――在所へ帰りましたその日より、お教え下さった通り、屋敷内に御座る、三尺廻りもあろいうという杉の木を、日夜怠りのう、竹槍にて――突いて突いて突きまくりまして――遂には――向う側まで、穴を突き空けて、これ、御座いました。――」

と申けるゆえ、それを聴いた深井殿、

「それは! してやったり! よくも修行なされた!」

と賞美され、

「――されば幸い、本日は稽古なれば、一つ、修行の成果を、これ、試みらるるがよい。」

と申されたゆえ、男は素直に、

「――しからば。」

と、道場に向かい、槍を取って立ち合いと相い成った。

 門弟ども、これ、内心、馬鹿にし、ともするとほくそ笑みの零れんとするを、辛うじて押し隠しながら、かの「不器用人」と立ち合って御座った。

……ところが……

……かの「不器用人」の……

――その繰り出す槍!

――その槍先!

――これ、見たこともなき!

――鋭さ!

……嘲って御座った門弟どもは、これ、ばったばったと突き倒され……

……遂には……

……門弟の内にても名にし負う者どもまでも、立ち合(お)うことと相い成った……

……が……

『――ここぞ! 勘所!――』

――と思う所へは!

――かの「不器用人」の槍先が!

――先に!

――スッツ! と!

――届く!

……深井道場の四天王と呼ばれた者どもまで、これ……突けども張れども……「不器用人」の槍先は一向にたわんでしなることものう、

――ズン!

――と突いて!

――動かず!

……しかも、何人もの門弟と対したにも拘わらず、「不器用人」、これ、一向に疲れた様子も、

――御座いない!

……結局、かの「不器用人」、悉く勝ち槍にて……皆々突き伏せられ、門弟、一人残らず閉口致いて、

「……ま、参ったッ!……」

と床に這い蹲って御座った。……

 これには師範も感心致いた上、

「――その方らには――とてものことに分からぬことながら――かの男の槍術――これ、既に神妙の域に至っておる!――直ちに、我ら、印可(いんか)を致さねばならぬ!」

と、即座に極意相伝の伝授が行われたと申す。……

 まっこと、かの「中庸」に言う『至誠、神(しん)に入る』とは、このことで御座ろうか。

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