西東三鬼句集「變身」 昭和三十二(一九五七)年 九七句
昭和三十二(一九五七)年 九七句
新年を見る薔薇色の富士にのみ
一波に消ゆる書初め砂濱に
初漁を待つや枕木に油さし
初日一さす畦老農の二本杖
刈株の鎌跡ななめ正月休み
熱湯を噴く巖天に初鴉
ばら色のままに富士凍て草城忌
[やぶちゃん注:「草城忌」一月二十九日。日野草城の一周忌。]
小鳥の巣ほどけ吹かれて寒深む
雪片をうけて童女の舌ひつこむ
北極星ひかり生きもの餠の黴
薔薇の芽のきびの如し寒日ざし
寒の雨東京に馬見ずなりぬ
鳴るポンプ病者養う寒の水
石橋に厚さ増しつつ雪輕し
凍り田に歸り忽ち鷺凍る
影過ぎてまたざらざらと寒の壁
老いの足小刻み麥と光踏み
耳に手を添え耕し同志遠い話
野良犬とわれに紅皿寒の濱
春山の氷柱みずから落ちし音
生ける枝杖とし春の尾根傳い
紅梅のみなぎる枝に死せる富士
斷層に蝶富士消えて我消えて
寒き江に顏を浮べて魚泳ぐ
弟子の忌や紙の櫻に小提灯
[やぶちゃん注:時系列から見て、前年二月十六日に自殺した中村丘の一周忌である。]
春晝の巖やしたたり絞りだし
うぐひすや巖の眠りの眞晝時
すみれ搖れ大鋸の急がぬ音
紋章の蝶消え春の巖のこる
日の遠さ撓めしばられて梨芽吹く
春濱に食えるもの尋(と)め老婆の眼
富士滿面櫻滿開きようも不漁か
ぼろの旗なして若布に東風荒し
網つくろう胡坐どつかと春の濱
荒れる海「わしらに花見はない」と漁夫
荒海や巖をあゆみて蝶倒る
斷崖下海足裏おどり母の海女
流木を火となし母の海女を待つ
太陽へ海女の太腕蚫さゝげ
浮くたびに磯笛はげし海中暗し
海女浮けよ焚火に石が爆ぜ跳べり
笑う漁夫怒る海蛇ともに裸
靑嵐滅びの砂岩砂こぼす
喫泉飮む疲れて黑き鳥となり
ふつふつと生きて夜中の梅雨運河
落梅は地にあり漁師海にあり
黴の家單音ひかり佛の具
荒梅雨の沖の汽笛や誰かの忌
梅雨赤日落つるを海が荒れて待つ
モナリザは夜も眠らず黴の花
かぼちや咲き眼立て爪立て蟹よろこぶ
やわらかき子等梅雨の間の岩礁に
花火見んとて土を踏み階を踏み
青森一〇句
舌重き若者林檎いまだ小粒
鐡球の硬さ靑空靑林檎
長柄大鎌夏草を薙ぐ惡を刈る
落林檎澁し阿呆もアダムの裔
横長き夕燒太宰の山黑し
乘らざりし連絡船
なお北へ船の半身夕燒けて
靑高原わが變身の裸馬逃げよ
炎天涼し山小屋に積む冬の薪
寡默の國童子童女に草いちご
港灣や靑森の蟬のけぞり鳴く
つつ立ちてゆがみゆく顏土用波
富士見ると船蟲集う秋の巖
笛吹き立ち太鼓打ち坐し秋の富士
漁夫の手に綿菓子の棒秋祭
濡れ紙で金魚すくうと泣きもせず
パシと鳴るグローブ晩夏の工場裏
長良川 一〇句
夜と晝
鵜舟曳く身を折り曲げて雇われて
火の粉吐き突つ立つ鵜匠はたらく鵜
早舟の火の粉鵜川の皮焦がす
はばたく鵜古代の川の鮎あたらし
潛り出て鮎を得ざりし鵜の顏よ
晝の鵜や鵜匠頭(うしようのかみ)の指ついばみ
いわし雲細身の鵜舟ひる眠る
籠の鵜が飢えし河原の鳶をみる
鵜の糞の黄色鮮烈秋の風
晝の今淸しなまぐさかりし鵜川
枯れ星や人形芝居幕を引く
食えぬ茸光り獸の道せまし
ぅつむきて黑こほろぎの道一筋
立ちて逃ぐる力欲しくて芋食うよ
冬の蠅耳にささやく最後の語
こほろぎが暗闇の使者跳ねてくる
岐阜二句
秋の鳶城の森出て宙に遊ぶ
板垣銅像手上げて錆びて秋の森
冬怒る海へ靑年石投げ込む
曲る梃子霜もろともに巖もたげ
枯葉のため小鳥のために石の椅子
子の指先彌次郎兵衞立つ大枯野
安定所の冬石段のかかる磨滅
寒月下の戀雙頭の犬となりぬ
河豚鍋や愛憎の憎煮えたぎり
月枯れて漁夫の墓みな腕組める