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2013/01/04

鎌倉日記(德川光圀歴覽記) 佐竹屋敷~法性寺/引用書目録 全完結!

   佐竹屋敷

 名越海道ノ北、五本骨ノ扇ノ如クナル山ノウネアリ。其下ヲ云也。

 

   安 養 院

 祇薗山ト號ス祇薗ノ社アリ。本尊阿彌陀、淨土宗智恩院ノ末寺ナリ。開山願行也。二位尼ノ草創ニテ、長谷ノ前、水無瀨川ノ邊ニ有シヲ、高時滅亡ノ時、此地ニ移スト云傳フ。然ドモ舊記ナケレバ慥ニハ知ガタシ。願行ハ笹目ガ谷長樂寺開山隆觀ガ弟子也トイフ。按ズルニ向者(サキ)ニ淨光明寺ノ僧語テ云、願行ハ禪僧正義專一代居住シ、他ニ出ルコトナシト。又覺園寺ノ開山心意和尚ハ願行ノ嗣法也ト。覺園寺ハ律宗ニテ、泉涌寺ノ末也。然ラバ泉涌寺ノ僧ト云説、是ナルベシヤ。但願行ニ同名二人アリテ、此寺ノ開山ハ別ナルニヤ、未ダ審ナラズ。

[やぶちゃん注:「智恩院」は「知恩院」の誤り。この記載の疑義は、安養院がここに移転する前に善導寺(移転前に廃寺)という寺があったこと、この善導寺の開山が浄土宗名越派の祖であった良弁尊観(浄土宗三祖良忠の弟子)で下総・常陸・下野から東北地方全域へと教線を広げていったその本拠地が善導寺であったこと、その後に移って来た安養院はもと律宗であったものが途中で浄土宗に改宗された寺であること等による。しかし、今回、更に調べてみて不思議なことが分かった。それは、「鎌倉市史 社寺編」の「安養院」には、

延享四(一七四七)年

六月に行われた『諸宗寺院本末改により京都知恩院末となる』という記載がある点である。この「鎌倉日記(德川光圀歴覽記)」は、

延宝二(一六七四)年

五月の記録である。これは「鎌倉市史」の言う延享四年より七十三年も前に、既に知恩院末寺となっていたことを示している。これはどういうことか? 非公式には以前から既に知恩院末格となっていたものが、そこでの改組に伴い正式に認定されたということか? 識者の御教授を乞うものである。]

 

   花 谷〔附蛇谷〕

 内ニ谷々多シ。大倉へ出ル切通シニアリ。此谷ノ内ニ蛇谷ト云アリ。昔若キ男アリ。老女ト相具セリ。老女廿歳計ナル娘ヲ持タリ。年來住渡リテ老女ノ思ヘルハ、我齡傾キヌ。若キ男ニ相馴シコト、誠ニヲコガマシ。不若(若(し)かじ)我娘ヲ我男ニ合セ、吾ハ別ニ家ヲ作ラセテ居ンニハトテ、彼男ニカクト語ケレバ、男是ヲ受ゴハズ。猶親カリケレドモ、老女少モウハノ空ナルコトニアラズ。望ム如クニシ玉へト、度々云ケレバ、男モ否(イナ)ミ難クテ、我居所ノ側ニ、小キ居ヲ構テ老女ヲ居キ、男ハ娘ト相具シテケリ。一年ニ年住渡テ彼母、煩クテ閨ヨリ出ザリケレバ、男ノ留守ニ娘母ノ許へ行テ、此程ハ御心重ク見へサセ玉フ。藥ナド奉ンヤト問ケレバ、母痛ク忍テ事ナキ由ヲ云ケリ。娘ノ云ク、何事ヲカ我ニ隱サセ玉フゾトテ、泣恨ケレバ、母點シガタクテ曰ク、我男ニソコヲ合置テ、カタ住ナスコト專心ヨリシテ爲(ナス)事ナレバ、人ヲ恨ムべキニ非ズ。然ヲ何トナク寢ザメノサビシサ、又ハ二人住居ルヲ餘所ナガラ見ナセシガ、若ソレニヤ有ケン、我指二ツ蛇ニ化(ナ)レリ。我身ナガラモ愧ク、妬シサニヤ成ケント思ヒ、煩フ計ナリ。是見ヨトテ出スヲ見レバ、兩ノ大指ハ蛇ニ成、目口鮮(アザヤカ)ニ有テケリ。娘恐ロシク二目トモ見ルコトナク、トカク我ガ在故ニヤト思ヒ、其儘走出テ或ル寺へ行、尼ニナリニケリ。男歸テ此事ヲ聞キ、爲方ナクヤ思ヒケン、其マ、男モ樣ヲ化ケリ。母モ若キ二人ノ者共ダニ出家ス。我トテモ爭カ有ントテ、樣ヲ化(カヘ)、諸國修行シケバ、輪囘ヲヤ離レケン、本ノ如クエ指ハナリケルトカヤ。是ヨリシテ蛇谷ト云リ。長明ガ發心集ニ詳ナリ。今此所ヲ尋ルニ、イヅクトモ知レガタシ。今按ズルニ舊記ニカク引タレドモ、發心集ニハ何レノ國ト慥ニ聞侍リシカド、忘ニケリト云リ。沙石集ニ、鎌倉ニ或ル人ノ女、若宮ノ僧坊ノ兒ヲ戀テ、思ヒ死ニ死ヌ。骨ヲ善光寺へ送ラントテ箱ニ入置ケリ。其後兒病付テ物狂ハシクナリケレバ、一間ナル所ニ押コメテヲクニ、人ト物語スル聲シケリ。人物ノヒマヨリ見レバ、大キナル蛇ト向ヒ居ル。サテ終ニ兒モ死ニケリ。若宮ノ西ノ山ニ葬ムルニ、棺ノ中ニ大キナル蛇アリテ、兒ニマトハリタリ。サテ女ノ骨モ小蛇ニ化(ナリ)タリト云リ。此故事故ニ谷ノ名歟。

[やぶちゃん注:本話「母妬女手指成虵事(母、女(むすめ)を妬み、手の指、虵(くちなは)に成る事)」は「新編鎌倉志卷七」の「蛇谷」で、「発心集」の正規本文も示して詳細な考証も附してあるので、是非、お読み頂きたい。また、最後に引く「沙石集」の「七 妄執に依つて女蛇と成る事」も「鎌倉攬勝考卷之一」の「蛇谷」で全文と語注を附してある。合わせてご覧頂きたい。従ってここでは表記上の問題箇所の指摘にのみ留める。

「不若我娘ヲ我男ニ合セ、吾ハ別ニ家ヲ作ラセテ居ンニハトテ」ここは、「我が娘を我が男に合はせ、吾は別に家を作らせて居(す)まんには若かじ、とて」と返らなければおかしい。

「煩クテ」「わづらはしくて」と訓じているか。若しくは「煩ヒテ」の誤記かも知れない。患って。

「母點シガタクテ」は「母默シガタクテ」の誤り。「もだし」と読む。]

 

   妙 法 寺

 楞嚴山ト號ス。本ハ不受不施ニテ松光山啓運寺ト云リ。日蓮始テ法華經ノ首題ヲ讀誦セシ所ナリ。本尊釋迦、開山日卯、中興日受ナリ。住持之云、誰ノ建立トモ知レズ。近來鎌倉久兵衞ト云市人ガ再興セリ。

[やぶちゃん注:「日卯」は「日印」の誤り。]

 

   安 國 寺

 妙寶山ト號ス。前記ニ寶久山ト云ハ誤ナリ。比企谷ノ末寺ナリ。本尊釋迦。此堂ハ廿年計以前ニ家臣小野角右衞門言胤再興ス。日蓮安房ノ小湊ヨリ始テ來リ、此堂ノ後ナル岩窟ニ居テ、安國論ヲ編ケルトナリ。内ニ日蓮ノ石塔アリ。前ニ影堂アリ。

   名 越 入

 材木座ト名越切通トノ間ヲ云。東鑑三建久三年七月廿四日、幕下名越殿に渡御ストアリ。

 

   長 勝 寺

 石井山ト號ス。名越坂へ通ル東北ノ谷ナリ。法華宗本國寺ノ末也。本尊釋迦、開山日卯、嘉暦元年ノ草創。其後日靜ハ尊氏ノ叔父ナル故、彌繁昌タリシガ、日靜本國寺へ入院ノ時、寺家多ク隨ヒ移リテヨリ以來、次第ニ零落シタリト也。寺領四貫三百文、豐臣秀吉幷三御當家四代ノ徹朱印アリ。秀吉禁制札モアリ。本堂ハ小田原北條家ノ時ニ、遠山因幡守宗爲再興ス。因幡守夫婦ノ木像アリト、寺僧隆玄院物語シ侍リヌ。

[やぶちゃん注:「日卯」は「日印」の誤り。]

 

   日蓮乞水

 名越切通ノ坂、鎌倉ノ方へ一町半計前ナル道ノ側ニ、少キ井ノ樣ナル所アリ。里翁ニ間へバ、果シテ是ヲ乞水ト云。是ハ日蓮安房ノ國ヨリ鎌倉ニ移ル時、此坂ノ中ニテ水ヲ求レバ、俄ニ涌出ケルトナリ。今ハ跡バカリアリ。

 

   名 越 坂

 三浦へ通フ道ナリ。杜戸ノ明神へ行ク陸道ハ此坂ヲ行也。此峠鎌倉ト三浦トノ境也。甚峻峻ニシテ道狹ク、左右ヨリヲヽヒタルガ如シ。峠ヨリ西ヲ名越ト云。東ヲ久野谷ト云。

 

   名越三昧場

 名越切通ヨリ北山ノ巓キ、少廣所三石塔一ツアリ。男石塔、女石塔アリト云事、前記ニアレドモ、今ハイヅクエアリトモ見へズ。

 

   御猿場山王

 小山三松少シ有所ヲ云。昔此ニ山王ノ社アリ。里老ガ云。日蓮鎌倉ニ始テ出ル時、諸人憎テ一飯ヲモ送ラズ。然ル時此山ヨリ猿ドモ、群ガリ來リテ、畑ニ集リ、喰物ヲ營ミテ日蓮へ送リケル故ニ云ト也。

 

   法 性 寺

 猿畠山ト號ス。寺ヨリ遙カ上ニ塔アリ。其上ノ岩穴ニ日蓮ノ影アリ。今ハ塔ノ内へ入置。塔ヨリ北ニ六老僧ノ籠アリ。塔ノ前ニ日朗ノ墓所アリ。其上ニシルシノ木トテ大ナル松アリ。弘安九年ニ日蓮此寺ヲ建立ス。猿ドモ我ヲ養シコト、山王ノ御利生トテ建立スト云リ。

 

 

 

 凡此等ノ事、郷導ノ教ニ任セ、見聞ニシタガヒテ草々シタ書トメヌ。鎌倉記・名所物語・順禮ナド云ル書ヲ指シテ舊記前書トハ云ナリ。件ノ書ニ戴ル事ノ詳ニシテ語ラザルヲバ贅スルニ及バズ。其泄シ殘シテ違ヒヌル事ヲ更ニ考へ正シ、且又モトヨリ聞ケルコトドモ思ヒ出ルマヽニ、アト前トナク雜へシルシヌ。鎌倉ノ地圖、三崎・杜戸・江島・金澤・鶴岳社・建長寺・圓覺寺・稱名寺・道寸古城等ノ諸圖、及ビ諸寺ノ鐘銘等ハ、別紙ニアリ。合テ見ルべシ。

  延寶二年〔甲寅〕五月 日

 

 引用書目錄

[やぶちゃん注:以下は底本では四段組。]

萬葉集        類衆和名抄

詞林采葉〔仙覺作〕  東鑑

太平記        徒然草

野槌         長明海道記

發心集        沙石集〔無位作〕

[やぶちゃん注:「無位」は「無住」の誤り。]

續古今和歌集     新拾遺倭謌集

未木集〔藤長淸作〕  類聚名所和歌〔昌瑑〕

[やぶちゃん注:「昌瑑」は連歌師里村「昌琢」の誤り。]

鶴岡記        鎌倉五山記

鎌倉物語〔中川喜雲〕 鎌倉順禮〔澤庵作〕

[やぶちゃん注:「中川喜雲」は正確には「中河喜雲」が正しい。]

鎌倉記〔松村〕    鎌倉集書〔手塚太郎左衞門〕

[やぶちゃん注:「鎌倉記〔松村〕」「鎌倉集書〔手塚太郎左衞門〕」ともに私は不詳。識者の御教授を乞う。]

鎌倉覺書〔四通〕   關東兵亂記

[やぶちゃん注:「鎌倉覺書〔四通〕」不詳。識者の御教授を乞う。]

寺社領員數記     大友興廢記

王代一覽       日本事跡考

[やぶちゃん注:「日本事跡考」寛永二〇(一六四三)年に儒学者林春斎が記した「日本国事跡考」のことと思われる。]

神社考        壒嚢鈔〔行譽〕

節用集        闇齋遠道紀行

道春丙辰紀行     東海道名所記〔淺井松雲作〕

 延寶三年〔乙卯〕正月 日

                吉元常

                   同校

                井友水

[やぶちゃん注:最後の記名は底本では詰まった二名の二行書きの中央下に「同校」がある。因みに、「新編鎌倉志序」の三種ある内の最後の「新編鎌倉志」参補である力石忠一のものの冒頭には、

延寶甲寅の夏、我

水戸相公、常陽より至る時、路(みち)、鎌倉に過ぐる。名勝を歷攬して、吉常をして見聞する所を記せしむ。丙辰の秋、特に河井友水をして鎌倉に如(ゆ)かしめ、古祠舊寺、以て里巷・荒村・蒭蕘(すうげう)の言に迨(いた)るまで、質(ただ)し問ひて之を載す。

とあることから、実際の本日記の筆録は、光圀の指示を受けた吉元常になることが分かる。

 

以上を以って「鎌倉日記(德川光圀歴覽記)」総てのテクスト化を終了した。]

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