西東三鬼句集「變身」 昭和三十三(一九五八)年 八五句
昭和三十三(一九五八)年 八五句
個は全や落葉の道の大曲り
落葉して木りんりんと新しや
夜の別れ木枯炎ゆる梢あり
ネロの業火石燒芋の竈に燃ゆ
地に立つ木離れず鳥も切れ凧も
南伊豆一二句
枯廣き拓地の聲は岩起す
岩山の淺き地表に豆の花
餠燒けば谷間の鴉來よ來よと
鼻風邪や南面巨巖ありがたく
死顏の寒季の富士は夜光る
刈田靑み伊豆の重たき鴉とぶ
山畑のすみれや背負う肥一桶
老いて割る嚴や金柑鈴生りに
蕗の薹岩間の土にひきしまる
呼ぶ聲や寒嚴の胎深きより
岩山の北風靑し目白捕り
犬妊み寒潮に浮く島七つ
素手で搔く岩海苔富士と共に白髮
夜の吹雪言葉ごとく耳に入る
寒析に合せて生ける肌たたく
[やぶちゃん注:「寒析」は「かんたく」と読む。「析」とは拍子木のこと。冬の季語。]
黑き月のせて三日月いつまで冬
これが最後の枯木の踊一つ星
落椿かかる地上に菓子のごとし
花咲く樹人の別れは背を向け合い
岩傳う干潟の獨語誰も聞くな
うぐひすや死顏めきて嚴に寢て
絶壁の氷柱夜となる底びかり
永柱くわえ泣きの涙の犬走る
寒のビール狐の落ちし顏で飮む
吹雪く野に立ち太き棒細き棒
首かしげおのれついばみ寒鴉
天の國いよいよ遠し寒雀
犬を呼ぶ女の口笛雪降り出す
宙凍てて鐵骨林に火の鋲とぶ
降る雪を高階に見て地上に濡る
蠅生れ天使の翼ひろげたり
道場の雄叫び春の鳩接吻
忘却の靑い銅像春のデモ
櫻冷え遠方へ砂利踏みゆく音
老斑の月よりの風新樹光る
體ぬくし大綠䕃の綠の馬
まかげして五月えを待つよ光る沖
[やぶちゃん注:「まかげ」は「目陰・目蔭」で、遠くを見る際、光線を遮るために手を額に翳(かざ)すことをいう。]
誕生日五月の顏は犬にのみ
荒れ濁る海へ草笛鳴りそろう
分ち飮む冷乳蝕の風起る
[やぶちゃん注:同年四月十九日に日本で大きく欠ける日食があった。]
いま淸き麻醉の女體朝の月
緑蔭の累卵に立ち鹽の塔
[やぶちゃん注:「累卵」は卵を積み重ねること。また、「累卵の危うき」で、積み上げた卵のように、非常に不安定で危険な状態の譬えともなる(「史記」范雎伝に拠る故事成句)。実景にこの故事を利かせるか。]
光る森馬には馬の汗ながれ
荒地すすみ朝燒雀みな前向き
遁走の蟬の行手に落ちゆく日
耳立てて泳ぐや沖の聲なき聲
強き母弱き父田を植えすすむ
假住みのここの藪蚊も縞あざやか
大島・下賀茂 一二句
夜光蟲明日の火山へ船すすむ
知惠で臭い狐や夏の火山島
死者生者竜舌蘭に刻みし名
溶岩の谷間文字食う山羊の夏
靑バナナ逆立ち太る硝子の家
飛び込まず眼下巖嚙む夏潮へ
母音まるし海南風の溶岩(らば)岬
[やぶちゃん注:ルビの「らば」は日本語ではない。“lava”(ラヴァ)で英語で溶岩の意。元来はイタリア語の豪雨で突然発生した奔流の意の“lava”が語源。]
ラムネ瓶握りて太し見えぬ火山
聲涼しさぼてん村の呆け鴉
巖窟の泉水增えし一滴音
老いの手の線香花火山犬吠え
裸そのまま力士の泳ぎ秋祭
秋祭生きてこまごま光る種子(たね)
秋潮に神輿浮かべて富士に見す
天高しきちがいペンをもてあそぶ
石崖に嚙みつく蝮穴まどひ
梯子あり颱風の目の靑空へ
颱風の目の空氣中女氣(によき)を絶つ
新涼の咽喉透き通り水下る
つぶやく名良夜の蟲の光り過ぐ
眞つ向に名月照れり何はじまる
犬の戀の樂園苦園秋の風
男鹿半島と八郎潟 一〇句
生ける雉子火山半島の路はばむ
舊火山純なるものは暖かし
水飮みて醉ふ秋晴の燈臺下
若き漁夫の口笛千鳥從へて
白魚を潟に啜りて歎かんや
遠い女シベリヤの鴨潟に浮き
どぶろくや金切聲の鵙去りて
手をこすり血を呼ぶ深田晩稻刈
夕霧に冷えてかたまり農一家
稻積んで暮れる細舟女ばかり