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2013/01/05

箱根山七温泉 江之島鎌倉廻 金草鞋 十返舎一九 附やぶちゃん注 始動

ブログにて以下を始動する。『鎌倉日記(德川光圀歴覽記)』に続けて、真面目な紀行地誌を続けてもよいのだが、一つ、楽しい旅もあってよかろう。――では僕が弥次、君が喜多だ……


箱根山七温泉 江之島鎌倉廻 金草鞋 十返舎一九 附やぶちゃん注

 

[やぶちゃん注:本書は十返舎一九(じっぺんしゃいっく 明和二(一七六五)年~天保二(一八三一)年)作、喜多川月麿画、文化一〇(一八一三)年に板行を開始した二十四編からなる絵草紙の、天保四(一八三三)年板行の第二十三編である(一九の没年を確認されたい。本絵草紙板行は彼の死後二年後である)。内容は滑稽文や狂歌を織り交ぜながら、日本各地の名所を紹介する彼得意の道中記形式をとるが、特に一九が実地に踏査、その道中で世話になった店(たな)等を積極的に本文中に紹介するという近代的タイアップ広告が行われている点でも着目される。

 底本は早稲田大学古典籍総合データベースの当該PDF画像及び国立国会図書館デジタルライブラリー画像を用いたが、本文は殆どが仮名書きであるため、名詞や・固有名詞に漢字を宛てた鶴岡節雄氏の校注になる千秋社昭和五七(一九八二)年刊の「新版絵草紙シリーズⅥ 十返舎一九の箱根 江の島・鎌倉 道中記」を参考にしつつ、読み易く漢字平仮名交じりに書き換えたが、私のポリシーから漢字化する部分は正字とした(但し、絵図などに記された漢字で略字が用いられているもの、例えば「芦ノ湯」等は、そのままとした)。一部の片仮名表記は漢字又は平仮名表記に変え、踊り字「〱」「〲」は正字化、文中で「〇」に「狂」の記号で示された狂歌記号は私オリジナルの『狂〽』の記号に代えた。一部に簡単な注を附した。なお、底本の読み(ルビや本文平仮名表記)は読みが振れると私が判断した部分にのみ施した。

 上記早稲田の画像は国立国会図書館のものより遙かに使い勝手がよい(HTML版もある)。リンク先の画像をクリックして「19」の下のPDF版をダウンロードし、仮名本文と喜多川月麿の絵を楽しみながら読むのは、これ、如何にも楽しい。

 最後に。十返舎一九の辞世は、

  此世をばどりやおいとまにせん香とともにつひには灰左樣なら

と伝える。また残念ながら、例の火葬の際に一九が予め帷子の下に仕込んでおいた花火が上がって会葬者が魂消たというエピソードは、初代林屋正蔵による作話であるらしい。

なお老婆心ながら、洒落には下ネタが結構多いので自己責任でお読みあれかし。藪野直史【2013年1月5日電子化始動】]

 

箱根山七温泉

      金草鞋(かねのわらじ)

江之島鎌倉廻

 

故(ふるき)をもって新くするは戲作者の本分なり。年々歳々花相似たりといへども、sy洒落おなじからず。所かはれば品川より踏出(ふみだ)す旅もそれそれの得手勝手、行(ゆき)たい所へ足にまかする金(かね)のわらじも、去年(きよねん)豆州(づじう)の遊(ゆう)れきより引(ひき)續き、今年(こんねん)すぐに箱根の七湯(なゝとう)めぐり、それより大山街道を經て、江の嶌(しま)鎌倉の記行、名所古蹟を精(くわし)くし、例(れい)の方言(むだ)修行も旅雀(たびすゞめ)の出傍題(でほうだい)、壳尻(からしり)のから無體(むたい)にこぢつけたるは、駄賃馬(だちんうま)の口強(くちつよ)けれど、馬士(まご)にも衣裳の色摺(いろずり)、外題(げだい)にまづ新板(しんはん)とちやらかすのみ。

 癸巳    十返舍一九誌 (花押)

  孟春發版

 

[やぶちゃん注:この部分は漢字仮名交じり文である。十返舎一九の書名の「一」と「九」の間を右上から左下に抜けて洒落た熊手の絵が懸っている。

「去年」この前編である「金草鞋 第二十二編 伊豆紀行」は天保三(一八三二)年の板行。

「箱根の七湯」一般には「はこねしちたう(しちとう)」と呼ぶ(向後、歴史的仮名遣の誤りは指示しない)。箱根の温泉の内、湯本・塔ノ沢・宮ノ下・堂ヶ島・芦ノ湯・底倉・姥子(うばこ)または姥子に代えて木賀の七つの温泉をいう。本編では木賀を採っている。

「方言(むだ)」放言。

「出傍題(でほうだい)」口から出任せの「放言の」謂いたい放題。

「壳尻(からしり)のから無體(むたい)」「壳尻」は「軽尻」「空尻」で、本来は宿駅で旅人を乗せるのに使われた駄馬を指し、人を乗せる場合は手荷物を五貫目(約一八・八キログラム)迄、人を乗せない場合は荷馬用の本馬(ほんま)の積載限界の半分に当たる二〇貫目まで荷物を積むことが出来た馬を指し、「からしりむま(うま)」と読んだ。そこから転じて、単に積み荷を担わぬ空(から)の馬を指す。鶴岡氏の注によれば、ここは下の「からむたい」の語を引き出すための枕詞的用法で、享和二(一八〇二)年板行の「浮世道中膝栗毛序」にもある、とされる。この場合の「から無體」とは――本作の中身なんどは、まあるで、これ、ありんせん、すっ空かんのかあら空で御座んすよ――一九先生、ぶっとんだ自己韜晦をしているのである。

「ちやらかす」でまかせを言う。また、冗談を言ってからかう。ちゃかす。

「癸巳」天保四(一八三三)年。くどい様だが、十返舎一九の没年は天保二(一八三一)年、実はこの序を書いている一九はとうにこの世の人ではない。如何にも一九らしく美事に我々を「ちやらか」してくれるのである。]

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