一言芳談 六十七
六十七
聖光上人云、八萬の法門は死の一字を説く。然らば則ち、死を忘れざれば、八萬の法門を自然(じねん)に心得たるものにてあるなり。
〇死の一字、釋尊ひろく經をとき給ひし事は、生もなく死もなき佛となさしめんためなり。天仙の長生も生あるゆゑにまた死あり。
又八萬四千の法門は死後の沈淪をすくはんためなり。
〇八萬の法門、死の一字を説(とく)事、法花經に一大事因緣故出現過去佛よりはじめ、彌勤までを説て、一切説法をきはめたまへり。(句解)
[やぶちゃん注:「八萬の法門」一般には「八万四千の法門」と言い、「八万四千」は多数の意、仏の説いた無数の教法全体を指す。
「沈淪」「沈」も「淪」も沈むの意。迷妄のうちに深く沈んでしまうこと。
「一大事因緣放出現過去佛」「法華経方便品」にある、以下の文脈に出現する。
〇原文
佛告舍利弗。如是妙法。諸佛如來。時乃説之。如優曇鉢華。時一現耳。舍利弗。汝等當信。佛之所説。言不虛妄。舍利弗。諸佛隨宜説法。意趣難解。所以者何。我以無數方便。種種因緣。譬諭言辭。演説諸法。是法非思量分別。之所能解。唯有諸佛。乃能知之。所以者何。諸佛世尊。唯以一大事因緣故。出現於世。舍利弗。云何名諸佛世尊。唯以一大事因緣故。出現於世。諸佛世尊。欲令衆生。開佛知見。使得淸淨故。出現於世。欲示衆生。佛知見故。出現於世。欲令衆生。悟佛知見故。出現於世。欲令衆生。入佛知見道故。出現於世。舍利弗。是爲諸佛。唯以一大事因緣故。出現於世。
〇やぶちゃんの書き下し文(ありもしない敬語を用いてだらだらと長い従来の訓法に従っていない)
佛、舍利弗(しゃりほつ)に告げ、
「是くのごとき妙法は、諸佛如來、時に乃ち之を説く。優曇鉢華(うどんばけ)の時に一たび現ずるがごときのみ。舍利弗、汝等、當に信ずべし、佛の所説は、言、虛妄ならず。舍利弗、諸佛の隨宜の説法は意趣解し難し。何(いか)んとする所以は、我れ、無數の方便・種々の因緣・譬喩・言辭を以つて諸法を演説す。是の法は思量・分別の能く解する所に非ず。唯だ諸佛のみ有りて、乃ち能く之を知る。何んとする所以は、諸佛世尊は、唯だ一大事の因緣を以つての故に、世に出現す。舍利弗、何(いか)なるをか云はば、諸佛世尊は唯だ一大事の因緣を以ての故に世に出現すと名づくる。諸佛世尊は、衆生をして、佛知見を開かしめ、淸淨たることを得せしめんと欲するが故に、世に出現す。衆生をして、佛知見を示さんと欲するが故に、世に出現す。衆生をして、佛知見を悟らしめんと欲するが故に、世に出現す。衆生をして、佛知見の道に入らしめんと欲するが故に、世に出現す。舍利弗、是れを、諸佛は唯だ一大事因縁を以つての故に、世に出現すと爲(な)す。」と。
・「優曇鉢華」優曇華(うどんげ)のこと。「優曇」は梵語ウドゥンバラの音写である優曇鉢羅(うどんばら)の略で、その花の意。「霊瑞華」とも漢訳する。クワ科のイチジクの一種でとされ、三千年に一度だけ花を咲かすという。通常は仏の出世が稀なことや目出度いことの起こる前兆を示す喩えとして用いられる。
・「一大事因縁」ここに解く通り、仏がこの世に現れた最も大切な目的、則ち、あらゆる衆生を教導して、生きとし生けるもの総てを救うという唯一無二の目的を言う。]
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