金草鞋 箱根山七温泉 江之島鎌倉廻 關本 曾賀野 猪の江
關本 曾賀野 猪の江
關本は富士街道なり。これより足柄嶽(あしがらだけ)の下の方(かた)へゆきて、富士の須走口(すばしりぐち)へいづる也。また大山の方へは、關本より一里ゆきて、曾我といふにいでゝ、また二里すぎて猪(い)の江(ゑ)といふにいたる。皆、山道、いたつて難所(なんじよ)の道なり。
〽狂 いちめんに
春(はる)は霞(かすみ)の幕(まく)
のうち
これぞすまふの關本(せきもと)の山
たび人
「儂(わし)は商賣で、折節このやうに旅へも出かけますが、儂の商賣はかわつた商賣、物をひろつてあるくが渡世でござりますが、近頃は、人が利口になつて、めつたに物をおとしませぬから、儂の商賣も不景氣になりましたが、それでも、こうしてあるくと、あるいただけのことはあるもの、今日も錢一本そこでひろいましたが、立前(たちまひ)にはなりました。」
「それはよい御商賣。元手もいらず、おちてあるものをひろつて商賣になることなら、これからわたしもお前の仲間になりませうか。」
「とんだことを。素人方(しろうとがた)は、ぢきにもこの商賣できるやうにも思ひなさるが、なんとしてなんとして私等(など)も、始めのうちは、めつたにおちてあるものが、めつかりませなんだが、だんだんなれると、自然と巧者(こうしや)になつて、今ではひろい手も家にかゝへておいて、明日はどこそこに何がおちてある、明後日(あさつて)は、そんじよそこに何がおちてあるといふことを、前廣(まへびろ)からしれるやうになつたから、商賣になろうといふもの。しかし、この後月(あとげつ)おしいことをいたしました。後月の九日、江戸の囘向院(ゑかういん)へ金(かね)を百兩ひろうことを前廣からしれたゆへ、その日、囘向院へまいると、なるほど、一の富の百兩がおちたことはおちたけれど、ついほかへおちて、よその者にひろはれました。」
[やぶちゃん注:「關本」既出。現在の南足柄市大雄町にあった旧村名。現在の大雄山駅一帯。
「須走口」「須走」は静岡県駿東郡小山町の大字名。富士山麓の山林地帯に位置し、北は山梨県境、南は御殿場市に接する。中世は藍沢荘に属した。須走の地名は戦国期に見られ、洲走とも書く。中世末期に富士信仰が盛んとなり、道者の登山が行われるとともに、当村が甲斐に通ずる交通要地となっていた。但し、この登山ルートの須走口までは、関本からは直線でも三〇キロメートル以上はある。
「足柄嶽」神奈川と静岡県境にある足柄峠を中心とした山地名で、古くは金時山を含めた山々の総称。坂田金時(金太郎)の伝説の地。
「曾我」欄外の標題には「曾我野」とする。現在の、小田原市中心街より北東約七キロメートルの小田原市曽我一帯。曽我兄弟が育った地として知られる。
「猪の江」現在の足柄市上郡中井町井ノ口。東名高速道路秦野中井インター・チェンジの南方直近。小田原と大山の丁度中間点に当たる。
「立前(たちまひ)」仕事の報酬。稼ぎ。日当。
「前廣」以前。前々。多くは「に」を伴って副詞的に用いる。]