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2013/01/26

西東三鬼句集「變身」 昭和三十五(一九六〇)年 八九句

昭和三十五(一九六〇)年 八九句

 

海越えて白富士も來る瘤から芽

 

木になれぬ生身(なまみ)は歩く落葉一重

 

氣ままな鳶冬雲垂れて沖に垂れ

 

老斑の月より落葉一枚着く

 

丸い寒月泣かんばかりにドラム打つ

 

ひつそりと遠火事あくびする赤子

 

太陽や農夫葱さげ漁夫章魚さげ

 

凧揚げて膿の平を一歩踏む

 

巨犬起ち人の胸押す寒い漁港

 

廢船に天水すこしそれも寒し

 

晝月も寒月戀の猫跳べり

 

赤い女の絶壁寒い海その底

 

明日までは轉覆し置く寒暮のトロ

 

[やぶちゃん注:「トロ」はトロ箱であろう。鮮魚を入れて運ぶ箱で、トロはトロール網を語源とする。]

 

寒の入日へ金色(こんじき)の道海の上

 

細き靴脱ぎ砂こぼす寒の濱

 

富士白し童子童女の砂の城

 

寒雀仰ぐ日の聲雲の聲

 

寒雀おろおろ赤子火の泣聲

 

髮長き女よ燒野匂い立つ

 

大寒の手紙「癒えたし子産みたし」

 

鐵路まで伊吹の雪の自厚し

 

深雪搔く家と家とをつながんと

 

  黑谷忠居

 

一夜明け先づ京風の寒雀

 

[やぶちゃん注:「黑谷忠」は『天狼』同人。]

 

飢えの眠りの仔犬一塊梅咲けり

 

自由な鳶自由な春の濤つかみ

 

蛇出でて優しき小川這ひ渡る

 

もんぺの脚短く開き耕す母

 

耕しの母石ころを子に投げて

 

底は冥途の夜明けの沼に椿浮く

 

黑髮に戻る染め髮ひな祭

 

  秩父長瀞 九句

 

風出でて野遊びの髮よき亂れ

 

鶯にくつくつ笑う泉あり

 

常にくつくつ笑ふ泉あり

 

春水の眠りを覺ます石投げて

 

一粒づずつ砂利確かめて河原の蝶

 

萬年の瀞の渦卷蝶溺れ

 

電球に晝の黄光ちる櫻

 

老眼や埃のごとく櫻ちる

 

花冷えをゆく灰色のはぐれ婆

 

草餠や太古の巖を撫でて來て

 

炎えている他人(ひと)の心身夜の櫻

 

黄金指輪三月重い身の端に

 

どくだみの十字に目覺め誕生日

 

薔薇に付け還曆の鼻うごめかす

 

五月の海へ手垂れ足垂れ誕生日

 

  横濱ヨットレース 六句

 

ヨット出發女子大生のピストルに

 

潮垂らす後頭ヨットに弓反りに

 

大學生襤褸干す五月潮しぼり

 

大南風赤きヨットに集中す

 

女のヨット内灣に入り安定す

 

猫一族の音なき出入り黴の家

 

うつむく母あふむく赤子稻光

 

夏落葉亡ぶよ煙なき焰

 

熱砂に背を擦る犬天に四肢もだえ

 

暑き舌犬と垂らして言はず開かず

 

産みし子と肌密着し海に入る

 

老いざるは不具か礁に髮焦げて

 

炎天に一筋涼し猫の殺氣

 

晝寢覺凹凸おなじ顏洗ふ

 

近づく雷濤が若者さし上げる

 

海から誕生光る水着に肉つまり

 

夜の深さ風の果さに泳ぐ聲

 

暗い沖へ手あげ爪立ち盆踊

 

地を蹴つて摑む鐵棒歸燕あまた

 

東京タワーという昆蟲の灯の呼吸

 

洞窟に湛え忘却一の水澄めり

 

死火山麓かまきり顏をねぢむけて

 

  妻、高血壓

 

草食の妻秋風に肥汲むや

 

  手賀沼 一〇句

 

いわし雲人はどこでも土平(なら)す

 

麹干しつつ口にも運ぶ舊街道

 

陸稻刈るにも赤き帶紺がすり

 

臀丸き妻の脱穀ベルト張り

 

犬連れて沼田の稻架を裸にす

 

穭田の水の太陽げに圓し

 

[やぶちゃん注:「穭田」は「ひつじだ」と読む。秋の田の稲を刈った後のその切り株からまた新しい青い芽が出て茎が伸びている状態を「穭(ひつじ)・と呼び、一面にそれが出た田を「穭田(ひつじだ)」という。秋の季語。]

 

東西より道來て消えし沼の秋

 

千の鴨木がくれ沼に曇りつつ

 

蜂に凴かれ赤シャツ逃げる枯蘆原

 

[やぶちゃん注:「凴かれ」の「凴」は「凭」と同字であるが、凭れるの意の「凭」はまた、「憑」と同字でもあるため、ここは「つかれ」と訓じているものと思われる。]

 

雲はずれしずかに明治芝居の野菊咲く

 

鳶ちぎれ飛ぶ逆撫での野分山

 

渚來る胸の豐隆秋の暮

 

秋の暮大魚の骨を海が引く

 

  名古屋

 

大鐵塔の秋雨しつく首を打つ

 

  田縣神社

 

木の男根鬱々秋の小社(やしろ)に

 

[やぶちゃん注:「田縣神社」愛知県小牧市田県町にある田縣(たがた)神社。毎年三月に行なわれる豊年祭で知られる。以下、ウィキ田縣神社を主に参照して記載する。創建年代不詳のかなり古い土着信仰に基づく神社で、子宝と農業の信仰を結びつけた神社であり、延喜式神名帳にある「尾張国丹羽郡 田縣神社」、貞治三(一三六四)年の「尾張国内神名牒」にある『従三位上 田方天神』に比定されている。現在地は旧春日井郡なので後に遷座したことになる。祭神は五穀豊穣と子宝の御歳神(としがみ)と玉姫神で、社伝によれば、当地は大荒田命(「旧事本紀」にみえる神で尾張邇波県(にわのあがたの)君の祖。娘の玉姫が饒速日(にぎはやひの)命の十二代の孫建稲種(たけいなだねの)命の妻となり二男四女を生んだとする)の邸の一部で、邸内で五穀豊穣の神である御歳神を祀っていた。玉姫は大荒田命の娘で、夫が亡くなった後に実家に帰り、父を助けて当地を開拓したので、その功を讃えて神として祀られるようになったという。境内には、男根をかたどった石などが、多数祀られている。豊年祭は毎年三月十五日に行われる奇祭で、別名「扁之古祭(へのこまつり)」ともいう。男達が「大男茎形(おおおわせがた)」と呼ばれる男根をかたどった神輿を担いで練り歩き、小ぶりな男根をかたどったものを巫女たちが抱えて練り歩く。それに触れると、「子どもを授かる」と言われており、この祭事は、男根を「天」、女陰を「地」と見立てて、天からの恵みによって大地が潤い、五穀豊穣となる事と子宝に恵まれることを祈願する祭事である。春に行われる理由は、「新しい生命の誕生」をも意味するからである。なお、少し離れた場所にある犬山市の大縣神社の豊年祭(別名「於祖々祭(おそそまつり)」)が対になっており、こちらは女陰をかたどった山車などが練り歩く。お土産品として男根を象った飴やチョコレート、オブジェなどが売られている。]

 

  黑谷忠

 

亡妻(つま)戀いの涙時雨の禿げあたま

 

  神戸埠頭

 

病む美女に船みな消ゆる秋の暮

 

濃き汗を拭いて男の仮面剝げし

 

足跡燒く晩夏の濱に火を焚きて

 

沖へ歩け晩夏の濱の黑洋傘(こうもり)

 

吹く風に細き裸の狐花

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