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2013/01/19

耳嚢 巻之六 老農達者の事

 老農達者の事

 享和二戌年の秋、關東筋出水して、川々普請目論見(もくろみ)とて鈴木門三郎廻村せしに、武州八甫(はつぽう)村與次右衞門儀、年百歳の由、極老の者に候處至て健かにて、諸人足に先立(さきだち)、公儀より御憐愍にて莫大の御入用を以(もつて)、御普請被仰付(おほせつけられ)候處、右は百姓銘々(めいめい)の圍ひに候間、不被仰付(おほせつけられず)候とも精入可申(せいいれまうすべき)旨にて、御普請に出(いで)候人足共を叱り勵(はげま)し飽(あく)まで精を入(いれ)候儀、歸府の上、懸(かかり)より申上(まうしあげ)、御褒美錢拾貫文、伺(うかがひ)の上とらせ候由。

 此圖は、川方御用に出し輩の内(うち)御普請役など、戲れにかきたる由にて見(みえ)しが、老農の有樣、斯(かく)も有(あら)んと其儀を爰に寫しぬ。

□やぶちゃん注

○前項連関:特に感じさせない。図入りだが……もっと他に図が欲しいものは、これ、あるように思うのだが……。

・「享和二戌年」西暦一八〇二年。「卷之六」の執筆推定下限は文化元(一八〇四)年七月であるから直近の出来事。

・「鈴木門三郎」底本の鈴木氏注は『鈴木正恒(後出)の子。寛政六年(二十二歳)小十人、七年御小性組』とするが、岩波版の長谷川氏注はその父鈴木正勝とする。正勝は『御勘定・評定所留役・御勘定組頭。寛政三年(一七九一)代官、七年美濃郡代、十一年勘定吟味役』で、直近の勘定吟味役は仕事柄、川方御用を兼ねたことは勘定吟味役経験のある根岸の事蹟からも明らかで、長谷川氏説を採る。但し、根岸はに勘定奉行から寛政一〇(一七九八)年には累進して南町奉行となっていた。

・「武州八甫村」現在の埼玉県久喜市鷲宮八甫(はっぽう)。利根川の右岸域にある。

■やぶちゃん現代語訳

 老いた農夫の達者なる者の事

 享和二年戌の秋、関東近縁方々出水(でみず)致いて、河川普請改修の見積もりのため、鈴木門三郎正勝殿が回村致いて御座った。

 その折り、武蔵国八甫(はっぽう)村の與次右衞門と申す百姓、これ、年百歳の由なるが、極めて長寿なる者にて御座ったれど、至って健かにて、村から連れ参った諸人足の先頭に立って、

「……御公儀よりの御憐憫にて、莫大なる御入用金を以って御普請を仰せ付け下さり給うたところ、恭悦至極に存じまする。……実は、我らを始めと致しまして、この連れ参りました者どもは、それぞれの百姓が内輪に養(やしの)うております者どもにて……普請賦役には仰せつけられずなった者どもなれど……我らを始めと致します、この者どもも、ともに、精入れて働き申しまするによって……どうか、宜しゅう、お願い申し上げ奉りまする。……」

との申し出にて、その後も、御普請に出でて御座った人足どもを叱咤激励、飽くまで普請に精出だいたによって、鈴木殿は帰府致すと直ぐに、係りの者より申し上げて、御褒美として銭十貫文、上様伺いの上、取らせた由。

〇附記。以下の図は、川方御用に出でた諸輩の内の、御普請役なんどの誰彼が、戯れに描いた由のものと見ゆるが、矍鑠(かくしゃく)たる老農の有様、かくもあったとのことなれば、ここに写しおいた。

100sai

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