耳嚢 巻之六 其才に誇るを誡の歌の事
其才に誇るを誡の歌の事
才力ある人は、人も尊崇し、公私の用にもたちてよろしけれど、自分(おのづと)其の才器に任せる故(ゆゑ)人も慴み、またさまでなきは、智才ある人、却(かへつ)て人の用ひもをとる事あり、世にあらん人は心得あるべき事と、或る老人に咄し合(あひ)けるに、彼(かの)老人の云へるは、さればとよ、それにつき思ひ出る事あり、後水尾院樣の御誡歌(ごかいか)の由、人の語りしとて噺しぬ、
たれも見よをのがえならぬ花の香におりたやさるゝ野路の梅が枝
げにも尊き御教(おんおしへ)の御歌(ぎよか)と、爰に記し置(おき)ぬ。
□やぶちゃん注
○前項連関:二つ前の艶笑狂歌から、また、堂上狂歌へ連関。この後水尾院、本巻で先行する「御製發句の事」では発句さえものしており、なかなかの通人であらっしゃたようどすなあ……但し、恐残念ながら、この歌も先の発句同様、彼の御製ではない可能性が高い。
・「其才に誇るを誡の歌の事」「誡」は「いましむる」と訓じているか。岩波版では「いましむ」とルビを振る。
・「慴み」「慴」は「おそれる」「おびやかす」としか訓ずることが出来ず、意味もおかしい。岩波のカリフォルニア大学バークレー校版では「憎み」とあり、こちらならすんなり通ずる。現代語訳では「憎み」を採った。
・「後水尾院」「御製發句の事」に既注。
・「たれも見よをのがえならぬ花の香におりたやさるゝ野路の梅が枝」底本の鈴木氏注に以下の三村竹清氏の以下の注を引く。『この歌徹書記かと被存、右集外へかし置、穿鑿に間合兼申候、才智は人の仇なりといふ事を、『見よや人(おもへ人)をのがえならぬ花の香に折やつさるゝ野路梅が枝』このやうにそら覺申候、初五文字別して覚束なく、作者は猶さらにて候』とあるとするが、岩波版長谷川氏注には『正徹諸集に見えず』ともある。正徹(しょうてつ 永徳元(一三八一)年~長禄三(一四五九)年)は室町中期の臨済僧で歌人。
――誰も誰も、よう、見とうみ……己れの枝にはない……香しい野辺の梅が枝(え)の花は……これ……必ず折り採られて……絶やさるるもので……おます――
■やぶちゃん現代語訳
己れの才に誇るを誡む歌の事
……才智ある人は、他人からも尊崇され、公私の用にも、何かと役立つゆえ、一見、如何にもよろしゅうに見ゆるけれども――これ、自ずと勢い、その己れの才器に誇りがちとなるゆえに――結局は他人も内心にては憎み、また――憎まるるとまでは至らずとも――才智ある人という者、その、人より優れた才智のゆえにこそ――かえって人も物怖じ致いて、逆に採用致すに二の足を踏む――ということも御座る。こうした事実を世を渡らんとする才智ある御仁は、よう、心得ておかねばならぬ。……
といったことを、とある老人と談話致いて御座った折り、その老人の言うに、
「……そう言えば……それに就いて思い当ることが御座る。後水尾院さまの御誡(おんいまし)めの歌の由、人の語って御座った、ありがたき御製にて……」
とて、示された御詠歌、
たれも見よをのがえならぬ花の香におりたやさるゝ野路の梅が枝
「……実に尊き御教(おんおし)えの御歌(ぎょか)で御座ろう。」
と申して御座ったによって、ここに記し置くことと致す。