金草鞋 箱根山七温泉 江之島鎌倉廻 若江嶋 若宮
若江嶋 若宮
それより光明寺、六角の井。飯島より小坪道(こつぼみち)あり。若江(わかえ)の嶋(しま)は波打際(なみうちぎは)に、いろいろの形したる岩ども、いくつとなく、ならびたちて景色よし。若宮は、昔、鶴が岡八幡宮、此ところにありしを、賴朝公、今の處(ところ)にうつし玉ふ。その跡を若宮といふ。いたつて絶景の所なり。
〽狂 こゝに
きて
じゆめう
のびたる
こゝちせり
いつもわかえの
しまの
けしきに
旅人
「もしもし、物がとひたい。儂(わし)の癖で、うつくしい娘の給仕でなければ、飯がくへぬが、なんと、この辺りに、よい娘のある旅籠屋(はたごや)があらば、をしへてください。」
「うつくしい娘のある内(うち)なら、この先の大きな内へとまりなさい。あすこの娘に給仕をさせたら、さぞかし、飯がうまくくへませう。」
「それはうれしいが、その家は、旅籠屋でござるかの。」
「いやいや、宿屋(やどや)ではない。大盡(じん)の家だから、人はとめますまいが、しかし、『ゆきくれて難儀いたします、どうぞ、とめてください』とたのんだら、報謝(ほうしや)にとめるかもしれぬ。そのかはり、庭の隅に筵(むしろ)でもしいてねさせませうから、その娘に給仕をさせるかはり、娘のくひのこした物でももらつて、あがりなさい。そのかはり、旅籠はとらず、報謝に、たゞとめるでござらう。」
「そんなら、娘に給仕をさせるよりか、たゞとめてくれるなら、錢(ぜに)がいらぬでよいから、そんなら、それにいたそふ、それにいたそふ。」
[やぶちゃん注:絵の右手、闘犬まがいに子どもらが犬を仕掛けて遊んでいるさまが面白い。また、冒頭で当時の「若江嶋」(和賀江島)の様子が語られるが、恐らくは現在よりももっと突兀とした奇岩の奇景があったこと、また、現在よりも遙かに内陸へ湾曲していた由比ヶ浜の、由比の若宮からのその景観が「絶景」と称するほどのものであったことなど、古きよき時代の浜の景観が偲ばれる。後半の小話は、乞食として一夜の宿を乞うというオチで、表面上はたいして面白くもないが、もしかすると、ここには、今までのような何かセクシャルな隠語(符牒)が隠されているのかも知れない(と思うようなった私は一九の猥雑なる詩想にかぶれたのかも知れぬ)。識者の御教授を乞うものである。]
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