耳嚢 巻之六 梅田枇杷麥といふ鄙言の事
梅田枇杷麥といふ鄙言の事
八十に及ぶ老翁の語りけるは、しれる老農、梅田枇杷麥(うめたびはむぎ)といふ事を申(まうし)ける故、何の事やと尋(たづね)ければ、梅實(うめのみ)能(よく)實(み)のる時は田作(たつくり)よろしく、豐饒(ぶねう)なり。枇杷の實よく結べば麥作よく出來るといひしが、數年其言に當(あて)て考ふるに違はざる由、右老翁の語りぬ。
□やぶちゃん注
○前項連関:「鄙言」は「ひげん」で、ここでは世俗の言い伝えであるから呪(まじな)いの同族で、二つ前の呪いシリーズと連関する。「梅田枇杷麦」は「日本国語大辞典」にもしっかり載る俗諺で(ただ、同辞典の引用例もこの話)、ここに示されたように、梅の実が良く稔る時は米が良く出来、枇杷の実が良く稔る時は麦が良く出来る、という農村の俚諺である。底本の鈴木氏注に、『梅米枇杷麦という所もある。中国でも、梅実少なければ秣亦少なしとか、樹に梅無く、手に杯無しなど、同様のことわざがある』と記しておられる。「秣」は「まぐさ」と読む。
・「豐饒」は「ふねう(ふにょう)」「ほうぜう(ほうじょう)」と読んでもよい。
■やぶちゃん現代語訳
「梅田枇杷麦」という俚諺の事
八十になんなんとする老翁が語ったことには、その者の知音(ちいん)の老農、
「梅田枇杷麦(うめたびわむぎ)――」
ということをしばしば申すゆえ、
「何のことじゃ?」
と訊いたところ、
「――梅の実のよう稔る時は、これ、田の出来が宜しく、豊饒(ぶにょう)――枇杷の実のよう結ぶ時は、これ、麦がよう出来る――ということじゃ。」
と答えた。
「……ここ数年の様子、その謂いに当てはめて、よう考えて見申したが、これ、その通りにて、間違い御座らんだわ。」
とは、これを語って御座った老翁の語りで御座る。
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