西東三鬼 拾遺(抄) 昭和三十二(一九五七)年
昭和三十二(一九五七)年
木枯の一夜明けたる道白し
冬耕の馬より低く入日炎ゆ
高岡城跡
大寒の小石かゞやき城古りぬ
枯蓮の夕べ秒針すこやかに
紅顏や石崖の根に雪のこり
松さかしま寒城の水鋼(はがね)なす
[やぶちゃん注:『週刊読売』同年二月十七日号。私は若き日に高岡に住んだことがあり、これらの句は何故か不思議に極めてリアルな印象を受ける。因みに――私はこの年の二月十五日に生れた。]
華やかな木枯夜富士吹きとがる
道ありて歸る冬滿月正面に
ひとの子の紙鳶をさゝげて初濱に
正月の岸壁蔦の朱一枚
寒林を透りて誰を呼ぶ聲ぞ
海女の火の煙一炷蠅つるむ
[やぶちゃん注:『春光』六月号より。「一炷」音ならば「いつしゆ(いっしゅ)」、訓ならば「ひとたき」であるが、後者で読みたい。]
夏山へ古城へ双の鳶別れ
[やぶちゃん注:『週刊読売』(底本に月号表示なし)掲載の「淀城」の中の一句。淀城は現在の京都府京都市伏見区淀本町にある城跡のこと。本丸の石垣と堀の一部が残る。]