くさつた蛤 萩原朔太郎
くさつた蛤
半身は砂のなかにうもれてゐて、
それで居てべろべろ舌を出して居る。
この軟體動物のあたまの上には、
砂利や潮(しほ)みづが、ざら、ざら、ざら、ざら流れてゐる、
ながれてゐる、
ああ夢のやうにしづかにもながれてゐる。
ながれてゆく砂と砂との隙間から、
蛤はまた舌べろをちらちらと赤くもえいづる、
この蛤は非常に憔悴(やつ)れてゐるのである。
みればぐにやぐにやした内臓がくさりかかつて居るらしい、
それゆゑ哀しげな晩かたになると、
靑ざめた海岸に坐つてゐて、
ちら、ちら、ちら、ちらとくさつた息をするのですよ。
[やぶちゃん注:詩集「月に吠える」初版(大正六(一九一七)年二月感情詩社・白日社出版部共刊)の中の「くさつた蛤」副題「なやましき春夜の感覺とその疾患」の章の十一篇目で、これが同時に初出である。
朔太郎は貝類や蛸など軟体動物を好んで登場させるが、私はこの年になって、自分が何故、萩原朔太郎が好きなのかに思い至った。私も朔太郎と同じく寄生蟹やくらげや貝や蛸やおしなべて海産無脊椎動物が好きだからだ。朔太郎は異端精神世界の博物学者なのだ。彼の、魂の畸形種ばかりをコレクションした標本箱が――丁度、私という貧しい弱虫の少年の心の中にある、原っぱの叢の秘密基地の、汚い段ボールの筐底にあるそれと――全く同じであることに、中学時代の私は……気づいていたのであった。……]