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2013/02/08

生物學講話 丘淺次郎 第七章 本能と智力 序

      第七章 本能と智力

Zourimusi

[ざうりむし]

 

 動物が生活して居る間は、餌を食ふため敵に食はれぬためにも、また子を産み子を育てるためにも、まづ外界の狀況を知り、外界に變化が起れば直にこれに應ずる策を講ぜねばならぬが、主としてこの衝に當たるものは神經系である。素より神經系の判然と發達して居ない生物でも、生きて居る以上は多少この能力がなければならぬが、神經系の發達したものに比べれば、その働きが遙に鈍い。例へば一滴の水の中にも無數に棲息し得る「アメーバ」や「ざうりむし」の如き微細な動物には、別に神經と名づくべき器官はないが、光に當てれば薄暗い方へ逃げ、酸素を與へればその方へ寄つて來る。即ちこれらの蟲も、外界の變化を感じ、外界の現狀を知り、不快の方を避けて心持ちの好い方へ移らうするが、これは神經系の發達した動物ならば、皆神經を用ゐて行ふ働きである。たゞ「アメーバ」や「ざうりむし」には特に神經系といふものがなく、全身の生きた物質を以てこれを行つて居るに過ぎぬ。また植物でも「おじぎさう」の如きは感覺が頗る鋭敏で、一寸觸れても直に葉が閉ぢて下る。米國産の「蠅取草」は、葉の表面に蠅が來てとまると、忽ち葉を閉ぢてこれを捕へ殺して食ふので有名である。しかも面白いことには、これらの植物に麻醉藥をかがせると、恰も睡つた如くになつて少しも動かぬ。その他「ひまわり」の花が朝は東を向き夕は西を向き、「かたばみ」の葉が晝は開き夜は閉ぢるなど、外界の變化に應じて姿勢を異にするものは幾らもあるが、植物には特に神經と見做すべきものはないから、これらの運動はたゞ身體の生きた組織の感覺力に基づくことであらう。

[やぶちゃん注:「衝」は「しよう(しょう)」で、大事な任務。

「おじぎさう」マメ目マメ科ネムノキ亜科オジギソウ Mimosa pudica。知られるように、偶数羽状複葉のオジギソウの葉は触れると、小葉が先端から一対ずつ順番に閉じて、最後に葉全体がやや下向きに垂れ下がる。この一連の運動は、ものの数秒で行なわれる。また、これとは別に他のネムノキ類同様、葉は夜間になると閉じて垂れ下がる。これを就眠運動という(ウィキオジギソウ」に拠った)。

「蠅取草」北アメリカ原産の食虫植物で別名ハエジゴクとも呼ばれる双子葉植物綱ウツボカズラ目モウセンゴケ科ハエトリグサ Dionaea muscipula。英名“Venus Flytrap”(女神の蠅取り罠)は、二枚の葉の縁の棘を女神の睫毛に見立てたもの。以下、参照したウィキハエトリグサから引用する(アラビア数字を漢数字に代え、記号の一部を変更・省略した)。『食虫植物と言えば、虫をぱくぱく食べるような印象があるが、実際には多くは粘着式や落とし穴式で、ほとんど動かない。はっきり動くものはほとんどなく、あってもムジナモのように小柄であったり水中生活をしているものが多いので、虫を能動的に捕らえる瞬間を肉眼ではっきり確認できる食虫植物は、実質的にはこの種だけと言って良い。ただし能動的とは言っても虫をおびき寄せる性質はないため、昆虫駆除の役にはほとんど立たない』。『ハエトリグサの葉は二枚が二枚貝のように、重なるように生えており、その葉の縁には多くのトゲが並んでいる。葉の内側には三本ずつ(四本のものもある)の小さな毛(感覚毛)が生えている』。『昆虫などの獲物が二回または二本以上の感覚毛に同時に触れると、約〇・五秒で葉を閉じる。葉が閉じると同時に周辺のトゲが内に曲がり、トゲで獲物を閉じ込めてしまう。葉を閉じるのに必要な刺激が一回ではなく二回なのは、近くの葉や雨の水滴などが触れた時の誤作動を防いだり、獲物を確実に捕えるための適応と考えられている。また、一回触れた後、もう一回触れるまでに二〇秒程度以上の間隔があると、葉は半分程度しか(もしくは全く)閉じない。この時間を記憶し、リセットする仕組みについては、まだ解明されていない』。『一日ほどたつと葉は完全に閉じられ、トゲは逆に外に反り返り、葉の内側で捕まえた獲物を押しつぶし、葉から分泌される消化液でゆっくりと獲物を溶かす。およそ十日で養分を吸収し、葉はまた開いて獲物の死骸を捨て、再び獲物を待つ。葉には寿命があり、一枚の葉が捕らえる回数は二~三回くらいである。また葉を閉じる行為は相当なエネルギーを消費するため、いたずらに葉を閉じさせ続けてしまうと、葉はおろか株全体が衰えて終いには枯れてしまう』。『他の食虫植物同様、彼らにとっての捕虫は生存に必要なエネルギーを得るためではなく、肥料となる栄養塩を獲得するのと同じ行為である。だから、捕食しなくとも一般の植物が肥料不足になったのと同じ状態ではあるが、光合成で生産した糖をエネルギー源にして生き続けることはできる。また、ハエ以外の昆虫はもちろん、ナメクジのような昆虫以外の小動物も捕食する』。

『「ひまわり」の花が朝は東を向き夕は西を向き』これは双子葉植物綱キク亜綱キク目キク科キク亜科ヒマワリ Helianthus annuus の生長に伴う向日運動であって、完全に開いた花は基本的に東を向いたまま、殆ど動かなくなる。

「かたばみ」双子葉植物綱カタバミ目カタバミ科カタバミ Oxalis corniculata。夕方になると葉を閉じる就眠運動を行う。茎や葉に蓚酸を含み、噛むと酸っぱく、これが名前の由来説としては腑に落ちる。昔はこの成分を利用して真鍮製の仏具や鉄製の鏡をカタバミで磨いて、艶出しをした。]

Haetorigusa

[アメリカ産蠅取草]

 

 抑々動物體における神經系の役目は、外界からの刺激によつて外界の事情を知り、これに應じて身を處するにあるが、實際身を處するに當つて働くのは、主として筋肉である。しかもこれだけの働きは、必ずしも神經系と筋肉とがなければ出來ぬといふわけではなく、ある程度までは神經・筋肉なしに行はれて居る。但し、これを神經系の發達した動物に比べて見ると、その程度に雲泥の差があることは、恰も野蠻人は誰でも自分で家を造り得るが、文明國の專門技師が建てた大建築物とは到底比較にならぬのと同じ理窟であらう。その代り建築家以外の文明人は鉋の持ちやうさへも知らず、速に小家を建てる手際に於ては遠く普通の野蠻人に協はぬ如く、神經を具へた動物の神經以外の組織は、「アメーバ」や「ざうりむし」等の如く、刺激に應じて適當に身を處することは到底出來ぬ。

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