西東三鬼 拾遺(抄) 昭和九(一九三四)年
昭和九(一九三四)年
横濱風景
異人墓地梢の海も雪ぐもる
異人墓地雪むらさきに夕づける
*
草萌ゆるこみちのカタヒもの食へる
*
裸馬ぽくぽく畑は日闌けて葱坊主
裸馬ぽくぽく遠に櫟の芽が光り
[やぶちゃん注:二句ともに「ぽくぽく」の後半は底本では踊り字「〱」。]
裸婦の畫の美き丘と谷春の灯に
裸婦の畫の瞳妖しも春の灯に
裸婦の畫の薔薇匂ひけむ房に滿つ
椅子ふかく
眼に偸む裸婦の圖春の灯を吸へる
裸婦の圖の褐(カチ)髮春の灯にみだれ
裸婦の圖の美き丘と谷春の灯に
もり上りせまる裸婦の圖春の灯に
夜の春を裸婦の圖のふと息吹けむ
*
鞦韆の美き脚漕げりひたすらに
鞦韆に崎の巨船消えしてふ
鞦韆ゆ紅の靴降り吾がまへに
鞦韆の振子とまれり手をあたふ
*
夜の春をめぐる木馬は傷みたり
徒らにおほきく妻の石鹼玉
黄砂降るあかゞねの月鐡骨に
「にんじん」を詠む
[やぶちゃん注:ジュール・ルナールの「にんじん」であるが、これは恐らくジュリアン・デュヴィヴィエ監督のロベール・リナン主演になるフランス映画「にんじん」(一九三二年)の鑑賞吟と推定する。本邦では、この昭和九(一九三四)年に公開されている(リンク先は私の岸田国士訳の電子テクスト)。初出誌は『走馬燈』の同年六月号であり、「薄月や」までが同誌での同時発表である。ただ、どこまでが『「にんじん」を詠む』の連作かはっきりしないが、「月落ちぬ」の句までは「にんじん」の映像や原作と確かに合致すると私は判断する。]
春曉のシーツ濡れをりすべもなし
鷓鴣を締むおそるゝ眼かたく閉づ
牡丹蔓裾にひきて嫁あそび
葡萄呉るゝ大いなる掌の名附親
月落ちぬこゝろ觸れたる父と子と
蒼澄める朝の空へ松の芯
峽深き日はうつうつと杉の花
薄月や接木のいのちかよひそむ
疫(え)病む子に禍つ闇ぬけ白蛾來ぬ
疫病む子はまどろみ白蛾すでにあらぬ
熱を病む手足がへんに伸びてゆく
熱を病む骨がしだいにやはらかく
熱を病むおのれが鳴らす齒の音を
*
かのといきまつよひぐさにいまもきく
*
白芥子のひそかなる香に眼をつむる
疫病む子を窺ふ白蛾闇を負ふ
くちふれて新樹の闇に溺れゆく
海濱風景
惡童のみな貌美くて濱に古り
惡童に羞ぢらふ胸乳波に浸し
惡童のくち笛ひしと浪の娘に
惡童のコーラス沖に雲の下に
惡童らインクの色の沖に去る
白きもの海月となりてくつがへる
波を出て月光の襯衣ひたと着る
*
祭果てし廣場の芥風は秋
*
黑煙けふなき空へ踊りの手
*
東北凶作地を憶ふ
夜を飢えて覺むるに雪の海あらぶ
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