内部に居る人が畸形な病人に見える理由 萩原朔太郎
内部に居る人が畸形な病人に見える理由
わたしは窓かけのれいすのかげに立つて居ります、
それがわたくしの顏をうすぼんやりと見せる理由です。
わたしは手に遠めがねをもつて居ります、
それでわたくしは、ずつと遠いところを見て居ります、
につける製の犬だの羊だの、
あたまのはげた子供たちの歩いてゐる林をみて居ります、
それらがわたくしの瞳(め)を、いくらかかすんでみせる理由です。
わたくしはけさきやべつの皿を喰べすぎました、
そのうへこの窓硝子は非常に粗製です、
それがわたくしの顏をこんなに甚だしく歪んで見せる理由です。
じつさいのところを言へば、
わたくしは健康すぎるぐらゐなものです、
それだのに、なんだつて君は、そこで私をみつめてゐる。
なんだつてそんなに薄氣味わるく笑つてゐる。
おお、もちろん、わたくしの腰から下ならば、
そのへんがはつきりしないといふのならば、
いくらか馬鹿げた疑問であるが、
もちろん、つまり、この靑白い窓の壁にそうて、
家の内部に立つてゐるわけです。
[やぶちゃん注:詩集「月に吠える」初版(大正六(一九一七)年二月感情詩社・白日社出版部共刊)の中の「くさつた蛤」副題「なやましき春夜の感覺とその疾患」の章の巻頭の一篇。下線部は、底本では総て傍点「ヽ」。初出同様、初出の最終行のルビから推して、題名を含め、総ての「理由」は「わけ」と訓ずるべきであろう。]
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