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2013/02/08

西東三鬼 拾遺(抄) 昭和十(一九三五)年

昭和十(一九三五)年

舗道の陽は遠退き卓の菊饐ゆる

朱蜻蛉浮きては風の色となる

花賣女聖誕祭(ノエル)をくらく常の處に

氷下魚釣る夜明けの海霧(ガス)は月孕み

刺靑(いれずみ)のマリとてひとり死にしのみ

失へるナイフや錆びん靑の朝

地球儀を辷る蛾の影靑の夜の

空にごる街あゆみつかれ今日五、一五

道につぶれわが干支の鼠今日五、一五

[やぶちゃん注:同年『京大俳句』六月号所載。「誕生日」の四句連作の三・四句目。三鬼は明治三三(一九〇〇)年五月一五日生まれであった。昭和七(一九三二)年の五・一五事件の時は、満三十二歳、この年は三十五歳であった。]

栗の花けぶらひけもの夢を見る

玻璃天井高しこだまがあざわらふ

手がそよぐ憑かれ狂へる無數の手

[やぶちゃん注:同年『京大俳句』八月号所載。「東京株式取引所」の五句連作の二・三句目。]

行間の虛空に白き蝶滿てり

まなぞこに映るは父ぞ吾子生きよ

[やぶちゃん注:同年『京大俳句』十一月号所載。「Ⅰ ひとり子病篤し」の四句連作の最終句。この「ひとり子」とは前年に堀田きく枝との間に生れた次男直樹と思われる。]

紙芝居草の黄ろき陽と去りぬ

子のゑがく柩車に黑き人坐せり

[やぶちゃん注:同年『京大俳句』十二月号所載。「子を見舞ふ」の六句連作の四句目。]

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