西東三鬼 拾遺(抄) 昭和十(一九三五)年
昭和十(一九三五)年
舗道の陽は遠退き卓の菊饐ゆる
朱蜻蛉浮きては風の色となる
花賣女聖誕祭(ノエル)をくらく常の處に
氷下魚釣る夜明けの海霧(ガス)は月孕み
刺靑(いれずみ)のマリとてひとり死にしのみ
失へるナイフや錆びん靑の朝
地球儀を辷る蛾の影靑の夜の
空にごる街あゆみつかれ今日五、一五
道につぶれわが干支の鼠今日五、一五
[やぶちゃん注:同年『京大俳句』六月号所載。「誕生日」の四句連作の三・四句目。三鬼は明治三三(一九〇〇)年五月一五日生まれであった。昭和七(一九三二)年の五・一五事件の時は、満三十二歳、この年は三十五歳であった。]
栗の花けぶらひけもの夢を見る
玻璃天井高しこだまがあざわらふ
手がそよぐ憑かれ狂へる無數の手
[やぶちゃん注:同年『京大俳句』八月号所載。「東京株式取引所」の五句連作の二・三句目。]
行間の虛空に白き蝶滿てり
まなぞこに映るは父ぞ吾子生きよ
[やぶちゃん注:同年『京大俳句』十一月号所載。「Ⅰ ひとり子病篤し」の四句連作の最終句。この「ひとり子」とは前年に堀田きく枝との間に生れた次男直樹と思われる。]
紙芝居草の黄ろき陽と去りぬ
子のゑがく柩車に黑き人坐せり
[やぶちゃん注:同年『京大俳句』十二月号所載。「子を見舞ふ」の六句連作の四句目。]