生物學講話 丘淺次郎 第六章 詐欺 四 忍びの術(4)/ 了
足で他物を支へて身體を隱す「かに」は、「へいけがに」の外にも幾種もある。その中で最も普通なものは海綿を脊負つて居る「かに」であるが、やはりこの類でも、四對の足の中、後の二對は短くて上向きになり、その先端の鉤狀の爪で常に海綿を引懸けて離さぬやうにして居る。そして海綿の方には、また丁度「かに」の丸い甲の嵌まるだけの凹みがあり、相重なつて、居るときはその間に少しも空隙がない。その上面白いことには、この凹みの内面の兩側には二つづつ小さな穴があつて、足の爪がこれに掛るやうに出來て居る。されば、この「かに」はどこへ行くにも海綿を脊負つたまゝで、若し危いと思ふと、忽ち靜止し、足や鋏を引き込めて恰も海綿だけの如き外觀を裝ひ、巧に敵の攻撃を免れるのである。
[やぶちゃん注:『海綿を脊負つて居る「かに」』軟甲綱真軟甲亜綱ホンエビ上目十脚目抱卵亜目短尾下目クモガニ科カイメンガニ
Chlorinoides longispi 及びその仲間。彼等は、海綿動物門 Porifera の多様なカイメン類だけでなく、刺胞動物門花虫綱八放サンゴ亜綱ウミトサカ目 Alcyonacea のウミトサカ類や同八放サンゴ亜綱ヤギ目イソバナ科イソバナ属 Melithaea 等を、かなり贅沢且つ派手に粉飾して擬態している。画像は例えば、チーさんのブログ「一日一歩」の「海の藻屑」の写真がよい。]
「へいけがに」でも「海綿がに」でも、足を用ゐてわざわざ他物を背の上に支へて居るのであるが、或る「かに」類は海草や海綿などを自身の甲や足の表面に直に植ゑ附けて姿を隱して居る。海の淺い處で網を引くと、かやうな「かに」は幾らも掛つて來るが、海草などに混じて居ると殆ど眼に附かぬ。「かに」類は昆蟲などと同じく成長する間に度々皮を脱ぐが、脱ぎ換へた當座は無論皮は綺麗である。しかるに外國の水族館で飼育した實驗によると、この類の「かに」は脱皮後直に適當な海草や海綿を選んで、自身でこれを甲に粘著せしめ、暫時の後には再び全身が殆ど見えぬ程に、他物を以て被はれてしまふ。
[やぶちゃん注:「海草」はアマモ等の海産の顕花性の種子植物を指すので、ここは「海藻」(若しくは「海藻や海草」)とすべきところ。
『或る「かに」類は海草や海綿などを自身の甲や足の表面に直に植ゑ附けて姿を隱して居る』短尾下目クモガニ上科クモガニ科クモガニ亜科モクズショイ Camposcia retusa に代表される、クモガニ類に多く見られる、藻や屑を体に貼り付けカムフラージュをしているカニ類。そのシュールでエッシャー的な世界はグーグルの画像検索「モクズショイ」をご覧あれ!]
[熊坂貝]
卷貝の中にも「熊坂貝」と名づけるものがあるが、これも同樣の手段で身體を隱して居る。この貝は摺鉢を臥せたやうな丈の低い卷貝であるが、介殼の外部には一面に他の介殼または小石などを著けて居るから、海底に靜止して居るときには、そこに生きた貝が居るとは到底見えぬ。小石や介殼の破片などが、この貝の介殼の表面に附著して居る有樣は、恰もセメントで固めた如くであるから容易には離れぬ。この貝を澤山集めて見ると、その中には小石のみを著けたもの、小さな卷貝の殼のみを著けたもの、主として二枚貝の破片のみを著けたものなどがあるが、これはいづれもその住んで居る海の底に落ちて居る物が、場處場處によつて同じでないから、各々自分の居る處に普通な物を取つて附けて居るのであらう。
[やぶちゃん注:「熊坂貝」盤足目クマサカガイ科クマサカガイ Xenophora pallidula。和名は平安時代の伝説上の大盗賊熊坂長範(くまさかちょうはん)に由来する。実際には室町後期の幸若舞「烏帽子折」や同名の謡曲及び「熊坂」などで創作されたピカレスク。クマサカガイの、やっぱりシュールでエッシャー的な世界はグーグルの画像検索「クマサカガイ」をご覧あれ!……しかし、最後の部分、その個体の生息域が、小石から二枚貝から巻貝からあらゆるものが吹き寄せられてくる吹き溜まりであったら、あらゆるものをサイケデリックに附着させている個体がもっとあってよいのに――というより、そうした吹き溜まりである方が多いはずであるのに――画像を見ても、丘先生のおっしゃるように、選択的に、巻貝だけ、二枚貝だけ、それらの中でも特定種だけ、小石だけを選んでいるように見える。これは「各々自分の居る處に普通な物を取つて附けて居る」ようには私には思われないのであるが……? 貝類学の識者に御教授を乞うものである。]
« 北條九代記 坂額女房鎌倉に虜り來る 付 城資永野干の寶劍 | トップページ | 文化庁eBooksプロジェクト 紀伊國屋書店 Kinoppy の芥川龍之介「河童」は凄い! »