一言芳談 八十七
八十七
或人、時料(ときれう)斷絶のよしをききて、入興(じゆきよう)の色ある事、意(こゝろ)に云(いはく)、世をのがるゝありさまは煙(けぶり)絶えて、かすかなるこそ本意にてあれ、云々。
〇時料(ときれう)斷絶、食事をいとなむべき料足のなきことなり。
〇律には三時の食をわかち、日中かぎり時齋をせしなり。こゝも時とすれば、二時食の事か。(句解)
〇入興、一段おもしろく興あることに思ふ儀なり。兼好ある時、齋料(ときれう)たえて、よねたまへ、ぜにもほしといふ折句の歌を頓阿におくりしことあり。
[やぶちゃん注:久々の無名の遁世者の言葉である。
「時料」「時」は斎(とき)で、仏家に於いて食すべき時の食事の意。寺院や道場での食事のこと。インド以来の戒律によって午前中に食べる一回のみが正しい斎(とき)であるが、午後の食すべき時ではない時刻の非常の飲食については、非時(ひじ)と言った。勿論、実際には足らないので、普通は非時が常にあった。「句解」の注は、その非時用の飲食物が絶えたかと注しているのであるが、私には言わずもがな、それこそ、全く喰わねば死ぬる故、「常識的」「理論的」「当たり前」に非時用のものであろうと解釈する、本「一言芳談」の痩せ細った人智を無化するコンセプトからは、邪道そのものの解であると断ずるものである。こういう敷衍的解はあるべきではないというのが私の見解である。無論、だからこそ興がることが出来るというのは事実ではあるであろう。しかし、これはモノクロ映画をカラーライズして興がるのと同じ、モラトリアムを推奨して見せかけの遁世を慫慂するのと同様、いや、「こゝろ」の静が学生と結婚すると考えるのと同じくらい下世話なお節介の噴飯ものの解釈である。寧ろ、次の兼好と頓阿のエピソードの方が、注として上手いと言うべきであるように思われるが、あなたは如何?
「兼好ある時、齋料たえて、よねたまへ、ぜにもほしといふ折句の歌を頓阿におくりしことあり」は、頓阿の私家集「続草庵和歌集(しょくそうあんしゅう)」巻第四に載る兼好と頓阿の沓冠(くつかぶり/くつかむり/くつこうぶり:和歌の遊び・技巧である折句(おりく)一種で、ある語句を各句の初めと終わりとに一音ずつ詠み込むものを言う。)の和歌の贈答を指す。
世中しづかならざりし比、兼好が本より、よねたまへぜにもほし、
といふ事をくつかぶりにおきて
よもすずしねざめのかりほた枕もま袖も秋にへだてなきかぜ
返し、よねはなし、ぜにすこし
よるもうしねたくわがせこはてはこずなほざりにだにしばしとひませ
これは、
よもすずしねざめのかりほた枕もま袖も秋にへだてなきかぜ
と、各句の初め(下線)に「よねたまへ(米給へ)」と置き、各句の終わり(囲み)に、下から「ぜにもほし(銭も欲し)」と沓冠して、「米給へ、錢も欲し」と言い送ったのに対し、頓阿が、
よるもうしねたくわがせこはてはこずなほざりにだにしばしとひませ
と、各句の初めに「よねはなし(米は無し)」と置き、各句の終わりに、下から「ぜにすこし(銭少し)」と沓冠して、「米は無し、錢少し」と返したもの。参照させて戴いた、私がしばしば利用させて頂いており、また、私の「腰越状」をリンク戴いてもいる、榛原守一氏の「小さな資料室」の「資料162 兼好と頓阿の「沓冠の歌」の贈答(『続草庵集』より)」の、二首の現代語訳も引用させて戴く。
《引用開始》
秋になって夜も涼しく感ぜられるようになったころ、粗末な庵(いおり)にさびしく独り寝をしていると、手枕をしている手にも両方の袖にも、隔てなくひんやりとした風が吹き通ってきて、思わず寝覚めてしまったことであるよ。(男の立場で詠む)
独り寝をする夜も、つらいことです。憎らしいことに、いとしいあの人は、来る来ると言いながら、結局は訪れてくれないのです。ほんのちょっと、形だけでもいいから、訪ねてきてくださいよ。(女の立場で詠む)
《引用終了》
頓阿(とんあ/とんな 正応二(一二八九)年~建徳三・文中元/応安五(一三七二)年)は俗名二階堂貞宗。出家後、二条家の嫡流藤原為世に師事して二条家歌学を再興、為世門の四天王の一人として知られた歌僧で二条良基の師範であった。晩年は西行の旧地双林寺に草庵を結び、二条為明のあとを継いで「新拾遺和歌集」を完成させた。]