異端信條 萩原朔太郎 (未発表詩篇)
異端信條
おれは現時の思想界で最も禁物視されて居るセンチメンタリズムの信徒だ
技巧に眼をくれるな、生命を見ろ、生命とは眞實の有無だ
夢を見ない少年は不具者だ、少年の生命は戀とロマンチツクだ
自我の眞實のために時代思想に反抗するものは眞の勇者だ
何物にも囚はれるな
視えないものを見ようとするのは好い、視えないものを見えるふりをするのは惡い
心はいつも貴族であれ、餓ゑても賤民の眞似をするな、乞食をしても土耳古帽子を被れ
詩と音樂とは貴族(心靈上の)の遊戲である、斷じて賤民の汗くさい手に觸れさせてはいけない
所謂、生活とは遊戲だ、所謂、遊戲とは生活だ
地上に於て最も神聖なるものは遊戲である、所謂生活ではない、生活とは賤民の職業だ
藝術のための藝術であれ
眞實のための藝術であれ
おれは異端だ
汝の眞實のためにも、異端であれ
[やぶちゃん注:底本は昭和五二(一九七七)年刊筑摩書房版全集第三巻の「未發表詩篇」(四一二~四一三頁)の校訂本文に拠った。当該本文には、下に全集編者が校訂を施す前の当該作品の原稿が活字化されているが、それを以下に示す。誤字や歴史的仮名遣の誤り及び句読点等も総てママである。
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異端信條
おれは現時の思思想界で最も禁物視されて居るセンチメンタリズムの信從だ
天才の病氣は自惣れだ、自惣れのない人間に天才はない
枝巧に眼をくれるな、生命を見ろ、生命とは眞實の有無だ
夢を見ない少年は不具者だ、少年の生命は戀とロマンチツクだ
自我の眞實のために時代思想に反抗するものは眞の勇者だ
何物にも囚はれるな
視えないものを見やうとするのは好い、視えないものを見えるふりをするのは惡い
心はいつも貴族であれ、餓えても賤民の眞似をするな、乞食をしても土耳古帽子を被れ、
詩と音樂とは貴族(心靈上の)の遊戲である、斷じて賤民の汗くさい手に觸れさせてはいけない
所謂、生活とは遊戲だ。所謂、遊戲とは生活だ
地上に於て最も神聖なるものは遊戲である、所謂生活ではない、生活とは賤民の職業だ、
藝術のための藝術であれ
眞實のための藝術であれ
おれは異端だ
汝の眞實のためにも、異端であれ
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特に着目すべきは第一連に続いて(若しくは二連目として書いたのかも知れない。但し、底本では行空けはない)にある以下の抹消である(誤字と思われるものを補正したものを示す)。
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天才の病氣は自惚れだ、自惚れのない人間に天才はない
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なお、本詩篇は、推定編年編集になる底本の、総計一五九篇ある未発表詩篇の内の「散文詩・詩的散文」の冒頭から四篇目に配されてあるので、「月に吠える」時代の創作と推定してよかろう。
また、筑摩版全集第三巻の『草稿詩篇「未發表詩篇」』には、『異端信條 (本篇原稿二種四枚)』として、無題の一種が載る。以下に示す。以下、各条の一フレーズが二行目以降に続く場合は、底本では一字下げとなっている。
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天才の病氣は自惣れ[やぶちゃん注:ママ。以下同じ。]だ、自惣れのない人間に天才はない、
枝巧[やぶちゃん注:ママ。]に眼をめくれるな[やぶちゃん注:ママ。]、生命を見ろ、生命とは眞實の有無だ
夢を見ない少年は不具者だ、少年の生命は戀とロマンチツクだ
自我の眞實のために時代思想に反抗するものは眞の勇者だ
何物にも囚はれるな
見えないものを見ようとするのはいゝ、見えないものを見えるふりをするのは惡い、
心は いつも心はいつも貴族であれ、餌餓え[やぶちゃん注:ママ。]ても賤民の眞似をするな、
藝術詩歌と音樂は貴族の遊ギである、決して賤民の汗くさい手にふれしむべからずさせてはいけない、
眞實のない人間には他人の眞實が解らない、
所謂生活とは遊ギだ、所謂遊ギとは生活だ
遊ギが地上に於て最も神聖なるものは遊ギである、所謂生活ではない、
藝術のための藝術であれ、
眞實のための藝術であれ
おれは異端だ、
汝の眞實のためにも、異端であれ
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