一言芳談 八十二
八十二
或云、高野の空阿彌陀佛の、御庵室(ごあんじつ)のしつらひの、びんぎあしげにて、すこし、か樣にしたらばよかりなんと、御たくみありける間、さやうしつらひなさんと申しければ、いやいや、あるべからず、是亦(これまた)、厭離(えんり)のたよりなり、よしと思ひて、心とめては、無益(むやく)なりとぞおほせられける。
〇高野の空阿彌陀佛、明遍僧都のことなり。
〇しつらひは、料理の字。(句解)
[やぶちゃん注:「御庵室」Ⅱの大橋氏注に、『高野山蓮華谷の蓮華三昧院を指すか』とある。蓮華三昧院(れんげさんまいいん)は五十歳を過ぎてから遁世して高野山に入山した明遍が開創した寺である。
「びんぎあしげにて」「びんぎ」は便宜で、使い勝手がうまくないように感じておられる様子で、の意。
「御たくみ」御思案。
「さやうしつらひなさん」明遍の思案顔を察して、話者であるところの或る人が、「僧都さまのお考えのままに、室内の設えを、お暮らしに不便のなきよう、模様替え致しましょう。」と提案したのである。「句解」の『料理』とは、物事をうまく処理することを言う。
「厭離のたより」「厭離」は「おんり」とも読み、穢れた現世を厭い離れることで、「たより」は、そうした厭離のための手掛かり、頼み、という意。「たより」には実は、対象の造り具合とか、物の配置の意があるので、謂わば、生活の不自由不具合を直さぬことも、これ、穢れた現世を厭い離れる方途としての「配置」である、と言う意も利かせているのかも知れない。 「心とめて」日常生活の暮らし易さなどに執着しては、の意。]

