耳嚢 巻之六 魚の眼といえる腫物を取呪の事
魚の眼といえる腫物を取呪の事
うほの目なほらざるに、なめくじをとりて、魚の目の腫物の上へ乘せおくに、なをる事奇々妙々の由。ためし見しが無相違(さうゐなき)と、同僚の語りぬ。
□やぶちゃん注
○前項連関:二つ前までの呪(まじな)いシリーズで連関。なお、不思議なことに、岩波のカリフォルニア大学バークレー校版(中巻)では、長谷川氏の附した巻頭の目録(同版の巻六には目録がないので長谷川氏が新たに起こしたものである)には、確かに「魚の眼といへる腫物を取(とる)呪の事」とちゃんとあるにも拘わらず、本文がない。それについての注記もなく、更に、岩波文庫同下巻末に長谷川氏が附した総目録には、これまた、載らない。
さて、この療法、眉唾かと思いきや……例えば、こちらのブログ記事では、実際に今、行って効果があると記しておられる!……そのブログ主の細君の行ったという施術内容を見ると……何匹か捕獲してきたナメクジを割り箸で一匹取り出して魚の眼にこすりつける――ナメクジは箸に摘まれてこすり付けられ、透明の粘液を一生懸命出し続ける――暫くそれを続けていると、次第にナメクジは小さくなって死ぬ――こうした行為を二~三匹分(恐らく連続して)行うと、魚の眼は粘液でてかてかに光るようになる――数日経つと硬かった魚の眼は正常な皮膚と同じように柔らかくなってきて――遂には魚の目は無くなっていた――その後、再発したとは細君は言わないので完治したものと思われる――このことに気を良くした細君は魚の眼に悩んでいる人に逢うと必ず、このナメクジ療法を薦めるのだそうだが、一〇〇%嫌がってやる人がいない――『ほんとに良く効くのですが残念なことです』とあるのである。……私も永年、指に出来たそれを抱えているのであるが……しかし……やはり私は躊躇するのである。気持ちが悪いから――では、ない。実は少なくとも、現代のナメクジやカタツムリからは、海外から侵入したと考えられている広東住血線虫などの寄生虫感染のリスクがあるからである。御存じない方のために言っておくと、今の幼稚園や小学校ではカタツムリを直には触らせないのである。これは教師時代の脱線でよく話したことであるが、ウィキの「カタツムリ」から引用しておこう。『種類にもよるがカタツムリやナメクジ、ヤマタニシやキセルガイなどの陸生貝及びタニシ類などの淡水生の巻貝は広東住血線虫などの寄生虫を持っていることがままあり、触れた後にしっかり石鹸や洗剤で手や触れた部分を洗わなければ、直接及び間接的に口・眼・鼻・陰部などの各粘膜及び傷口から感染する恐れがある。また、体内に上記の寄生虫が迷入・感染すると、中枢神経系で生育しようとするために眼球や脳などの主要器官が迷入先である場合が多いので、罹患者は死亡または重い障害が残るに至る可能性が大きい。これら線虫類をはじめ寄生虫の多くは乾燥にも脆弱なので、洗浄後は手や触れた部位の皮膚をしっかりと乾燥させることも確実な罹患予防に繋がる』。……如何かな? 本邦では実際の死亡例はないようであるが、激しい突発性頭痛といった症例の濃厚な真犯人として同定されているケースは既にあるのである。……しかし一方で私は……でんでんむしにも触れない/触らない世界というのも……何だか、殺伐としてる、という気も、これ、しないでは、ないのでは、あるが……。
・「魚の眼といえる腫物を取呪の事」「取呪」は「とるまじなひ」と読む。「いえる」はママ。
■やぶちゃん現代語訳
魚の眼という腫れ物を取る呪いの事
執拗(しつこ)い魚の目で治らぬ場合、蛞蝓(なめくじ)を採って、その魚の目の腫れた上へ乗せておくと、治ること、これ、奇々妙々である由。
「試してみ申したが、これ、まっこと、相違御座らぬ。」
とは、同僚の話で御座った。