生物學講話 丘淺次郎 第八章 団体生活 一 群集
一 群集
ある種類の動物が、一箇處に澤山集まつて居ることのあるは、誰にも氣のつく著しい事實である。例ヘば春から夏にかけて、暖な時節になると、毛蟲が澤山に出て來るが、中には樹の膚が見えぬ程に幹にも枝も一杯に居ることがある。また「ばら」・菊・「はぎ」その他の草花類の新しい芽の處に、「ありまき」が壓し合ふ程に一面に集まつて居ることがある。田畝の流れに「めだか」が游いで居るのを見ても、禁獵地の池に鴨の浮んで居るのを見ても、皆必ず群をなして居て、單獨に離れて居るものは殆どない。かく多數に集まる原因は場合によつて必ずしも一樣ではないが、相集まつて居る以上は、とにかく群集に基づく利益を得て居ることは慥である。
生物の中には風に吹かれ浪に流されて、同じ處に無數に集まるものがある。「夜光蟲」などはその一例で、海岸へ吹き寄せられた處を見ると水が一面に桃色になる程で、幾億疋居るか幾兆疋居るかその數は到底想像も出來ぬ。「數の子」の一粒にも及ばぬ小さな蟲が、殆ど水を交へぬ程に密集して、數十粁に亙る沿岸の波打ち際に打ち寄せられて居ることが屢々あるが、僅二三十疋づつ硝子瓶に入れて、五十錢にも賣つて居る標本商の定價表に從つたならば、世界中の富を悉く集めてもその一小部より外は買へぬであらう。但しこれは潮流の關係で芥が寄るのと同じく單に機械的に集まるのであるから、自身から求めてわざわざ集まる他の生物の群集とは素より趣が違ふ。ときどき海水を腐らせて水産業者に大害を與へる赤潮の微生物も、略々これと同じやうな具合で、突然無數に寄つて來ることがあるかと思ふと、その翌日はまるで一疋も見えぬこともある。尤も絶えず蕃殖するから、その增加するのは單に他から集まるのみではない。同じ方角の風が吹き續くと、沖の方から「かつをのゑぼし」が無數に濱へ寄つて來て、幾萬となく打ち上げられたものが腐敗して臭氣を放つので、その邊の者が大に迷惑するやうなこともときどきある。
[「かげらふ」の群集]
[やぶちゃん注:本図は底本では省略されているため、国立国会図書館蔵の大正一五(一九二六)年版の図を同ホームページより挿絵のみトリミングして転載した。【2014年1月4日上図正式追補・国立国会図書館使用許諾済(許諾通知番号国図電1301044-1-5703号)】]
動物にはそれぞれ生活に必要な條件があるが、かやうな條件の具はつてある處には、これに適する動物が集まつて來る。日光を好むものは日向に集まり、日光を嫌ふものは日陰に集まる。掃溜を掘つて「やすで」の塊を見出すのはそれ故である。食物が多量にある處へは無論これを食ふものが集まつて來る。毛蟲や芋蟲が大群をなして居る場合は即ちかゝる原因による。また「ありまき」の如きものは、運動の遲いために遠くへは行かず皆生まれた處の近邊に留まるので、大群を生ずることがある。「かげろふ」といふ「とんぼ」に似た蟲の幼蟲は長い間水中に生活して居るが、それが孵化するときは幾萬となく、同時に水から飛び出すから、暫時大群が生じ通行人の顏や手に留まつて、うるさくて堪へられぬ。「いなご」が非常な大群をなして移動し、到る處で綠色の植物を殘らず食ひ盡すことは昔から有名な事實であるが、これも恐らく同じ時に卵が揃つ孵化した結果であらう。
[やぶちゃん注:「かげろふ」昆虫綱蜉蝣(カゲロウ)目Ephemeropteraに属する昆虫の総称。昆虫の中で最初に翅を獲得したグループの一つであると考えられている。幼虫はすべて水生。不完全変態であるが、幼虫→亜成虫→成虫という半変態と呼ばれる特殊な変態を行い、成虫は軟弱で長い尾を持ち、寿命が短いことでよく知られる。参照したウィキの「カゲロウ」によれば(この記載は優れて博物学的である)、目の学名はギリシャ語でカゲロウを指す“ephemera”と、翅を指す“pteron”からなるが、この“ephemera”の原義は “epi”(on)+“hemera”(day:その日一日)で、カゲロウの寿命の短さに由来する(ギリシャ語で“ephemera”(エフェメラ)は、チラシやパンフレットのような一時的な筆記物及び印刷物で、長期的に使われたり保存されることを意図していないものを指す語としても用いられるが、これも、やはりその日だけの一時的なものであることによる)。和名の「カゲロウ」については、『空気が揺らめいてぼんやりと見える「陽炎(かぎろひ)」に由来するとも言われ、この昆虫の飛ぶ様子からとも、成虫の命のはかなさからとも言われるが、真の理由は定かでない。なお江戸時代以前の日本における「蜉蝣」は、現代ではトンボ類を指す「蜻蛉」と同義に使われたり、混同されたりしているため、古文献におけるカゲロウ、蜉蝣、蜻蛉などが実際に何を指しているのかは必ずしも明確でない場合も多い』。『例えば新井白石による物名語源事典『東雅』(二十・蟲豸)には、「蜻蛉 カゲロウ。古にはアキツといひ後にはカゲロウといふ。即今俗にトンボウといひて東国の方言には今もヱンバといひ、また赤卒をばイナゲンザともいふ也」とあり、カゲロウをトンボの異称としている風である。一方、平安時代に書かれた藤原道綱母の『蜻蛉日記』の題名は、「なほものはかなきを思へば、あるかなきかの心ちするかげろふの日記といふべし」という中の一文より採られているが、この場合の「蜻蛉」ははかなさの象徴であることから、カゲロウ目の昆虫を指しているように考えられる』。『クサカゲロウやウスバカゲロウも、羽根が薄くて広く、弱々しく見えるところからカゲロウの名がつけられているが、これらは完全変態をする昆虫で、カゲロウ目とは縁遠いアミメカゲロウ目に属する』とある。最後の部分は補注すると、クサカゲロウは、
有翅昆虫亜綱内翅上目脈翅(アミメカゲロウ)目脈翅亜(アミメカゲロウ)亜目クサカゲロウ科 Chrysopidae
に属し、ウスバカゲロウも、
脈翅(アミメカゲロウ)目ウスバカゲロウ上科ウスバカゲロウ科 Myrmeleontidae
に属する。形状は似ているものの、全く異なった種である。]
[「いなご」の大群]
[やぶちゃん注:本図は底本では省略されているため、国立国会図書館蔵の大正一五(一九二六)年版の図を同ホームページより挿絵のみトリミングして転載した。【2014年1月4日上図正式追補・国立国会図書館使用許諾済(許諾通知番号国図電1301044-1-5703号)】]
[黑雲の如くに日光を遮る。我が國の内地へはかやうの大群の渡り來ることがないけれどもアジヤ、ヨーロッパ等の大陸地方では往々これに襲はれ瞬く間に作物を悉く食ひ盡されることがある。]
右の如きものの外に、動物には自ら同種相求めてわざわざ群集を造つて生活するものが少くない。淺い處に住む海産魚類の中に、形が「なまづ」に似て、口の周圍に幾本かの鬚を有する「ごんずゐ」と名づける魚があるが、これなどは特に群集を好むもので、水族館に飼つてあるものを見ても、常に多數相集まつて、殆ど球形の密集團を造つて居る。二―三糎にも足らぬ幼魚でも明にこの性質を現し、球形の塊りになつて游ぎ廻るから、漁夫の子供らはこれを「ごんずゐ玉」と呼んで居る。試に竹竿を以てかやうな「ごんずゐ玉」を縱横にかき亂すと、一時は多少散亂するが、竹竿を退けるや否や、直に舊の通りの球形に復する。「ごんずゐ」は小さな球形の群集を造るから、特に眼に立つが、見渡し切れぬ程の大群集を造る魚類も少くない。「いはし」「にしん」などはその例で、大きな地曳き網を引き上げる所を見物すると、實に無盡藏の如くに思はれるが、その盛に密集して居る處では、魚が互に押し合ふために、海の表面から上へ現れ出る位であるといふ。その他、鰹でも「さば」でも「たら」でも一定の處に非常に澤山に寄つて來るので、漁獲の量も頗る多く、隨つて水産物中の重要なものと見做されるのである。
[ごんずゐ]
[やぶちゃん注:本図は底本の刷りが非常に薄いため、国立国会図書館蔵の大正一五(一九二六)年版の図を同ホームページより挿絵のみトリミングして転載した。【2014年1月4日上図正式追補・国立国会図書館使用許諾済(許諾通知番号国図電1301044-1-5703号)】]
[やぶちゃん注:「ごんずゐ」硬骨魚綱ナマズ目ゴンズイ科ゴンズイ
Plotosus japonicus。和名は権瑞と書く。ウィキの「ゴンズイ」によれば、体長一〇~二〇センチメートルに達するナマズ目の海水魚で、『茶褐色の体に頭部から尾部にかけて二本の黄色い線がある。集団で行動する習性があり、特に幼魚の時代に著しい。幼魚の群れは巨大な団子状になるため、「ごんずい玉」とも呼ばれる。この行動は集合行動を引き起こすフェロモンによって制御されていることが知られている』。『背びれと胸びれの第一棘条には毒があり、これに刺されると激痛に襲われる。なお、この毒は死んでも失われず、死んだゴンズイを知らずに踏んで激痛を招いてしまうことが多いため、十分な注意が必要である』とあり、また、『地方によっては味噌汁や天ぷらなどで食されることがあ』るとあるが、残念なことに私はまだ食したことがない。因みに和名の由来は牛頭人身の地獄の鬼卒の牛頭に頭部が似ていることから牛頭魚(ゴズイオ)と呼ばれたものが訛ったという説がある。確かにゴンズイの頭部は牛に似ていないとは言えず、鰭の毒腺によっても悪しき印象なればこそ、しっくりくる説明ではある。他にも中部地方で雑魚のことを「ゴズ」または「ゴンズリ」と称することからから、それが訛ったという説もある。なお、植物でバラ亜綱ムクロジ目ミツバウツギ科に、同様の和名を持つゴンズイ属
Euscaphis があるが、これは薪以外に使い道がなく役に立たないところから、同様に役に立たない魚である「ゴンズイ」に擬えた命名と言われる(植物の方のゴンズイは漢字表記では「権萃」)。
――なお、ここでどうしても述べておきたいのだが、私はこうした危険動植物の例記載に際しては、生物学者なればこそ、それがたとえ本論と大きく外れる場合であっても、必ずその危険注記を附すべきである、と私は考えている。例えば、ここで丘先生は漁夫の小どもの遊びの例(遊びとはおっしゃっていないが遊びとしか読めない)を示しておられるが、都会の子がこの叙述だけを読んで、誤って「ごんずい玉」に手足を差し入れた時のことを、私は科学者たる生物学者だからこそ、注意書きしなてはならない、と思うのである。これは丘先生一人への批難ではない。私は幼少の頃から、各種の生物図鑑で、本来、その扱いに注意が必要な危険生物について、しばしばそうした不記載があることに強い不満を感じ続けてきたからである。
――私は「科学的」であるということは、何よりも興味深く面白いことを喚起しながら、同時に時として個人の身体や生命、いや、人類の生存さえ危険が及ぶこともあることを必ず謂い添えて学ばせることが「科学的」であることの本質と理解しているのである。科学は原子力の似非安全性や非科学的な経済効果に奉仕するためにあってはならないのである。池内了氏が主張なさっているように(私が教師時代後期に新聞記事で教授したように)、今も昔も、真の――科学者たるものは社会のカナリアにならねばならぬ――と切に思うからでもある。]
[「あはうどり」の群集]
[やぶちゃん注:本図は底本の刷りが非常に薄いため、国立国会図書館蔵の大正一五(一九二六)年版の図を同ホームページより挿絵のみトリミングして転載した。【2014年1月4日上図正式追補・国立国会図書館使用許諾済(許諾通知番号国図電1301044-1-5703号)】]
鳥類や獸類にも群居するものは甚だ多い。その中でも特に著しいのは海鳥や海獸の類で、遠洋の無人島に於ける海鳥群集の有樣は、實地を見たことのない人には到底想像も出來ぬ。南鳥島とか東鳥島とかいふ名も、島中が鳥で一杯になつて居る所から附けたのであらう。海鳥は魚類を常食とするから糞の中に多量の燐が含まれてある。それ故海鳥の糞は肥料としては甚だ有功なもので、價も相應に高い。海鳥の群集して居る島にはこの貴重な糞が何百年分も堆積しているから、これを掘り取ると一角の富源なる。無人島に居る海鳥の中で主なるものは「あはうどり」で、翼を擴げると一米半もある大鳥であるが、人が來ても逃げることを知らず、ただ魚の消化した臭い汁を吐き掛けるだけで、棒で打ち殺すことは何でもない。南極近くに居る「ペンギン鳥」も、殆ど無數に群がつて居る處があるが、これらの鳥はたゞ集まつて居るといふだけで、互に相助けるといふ如きことは決してせず、恰も電車の乘合客のやうに、相罵りながら押し合つて居る。「ペリカン」なども、動物園や見世物で一、二疋を見ると頗る珍しい鳥の如くに思はれるが、その集まつて居る處には殆ど無限に居る。
[やぶちゃん注:「南鳥島」一つは本州から一八〇〇
キロメートル離れた日本最東端として知られる小笠原諸島の南鳥島がある(東京都小笠原村に属すが、海上自衛隊硫黄島航空基地隊の南鳥島航空派遣隊や気象庁南鳥島気象観測所、関東地方整備局南鳥島港湾保全管理所の職員が交代で常駐するのみ)。他にも小笠原諸島の母島(ははじま)列島内にも無人島の小島で南鳥島という同名の島がある。
「東鳥島」という島名は不詳。識者の御教授を乞う。
「あはうどり」ミズナギドリ目アホウドリ科キタアホウドリ属アホウドリPhoebastria albatrus。漢字表記は「阿呆鳥」「阿房鳥」「信天翁」で最後は「しんてんおう」とも読む。和名は人間が接近しても地表上では動きが緩慢で本文にある通り、捕殺が容易だったことに由来する。北太平洋に分布し、夏季はベーリング海やアラスカ湾・アリューシャン列島周辺に渡り、冬季になると繁殖のために日本近海へ南下する。現在、本文中に示された鳥島や尖閣諸島北小島及び南小島でのみ繁殖が確認されている。かつての羽毛目的の乱獲により生息数は激減した。一九三九年には残存していた繁殖地である鳥島が噴火し、一九四九年の調査でも発見されなかったため、鳥島では絶滅したと考えられていたが、一九五一年で繁殖している個体が再発見され、保護活動が行われている。特別天然記念物。二〇一〇年に於ける調査では鳥島のアホウドリ集団の総個体数は二五七〇羽と推定されている(以上はウィキの「アホウドリ」に拠った)。]
[「をつとせい」の群集]
[やぶちゃん注:本図は底本の刷りが非常に薄いため、国立国会図書館蔵の大正一五(一九二六)年版の図を同ホームページより挿絵のみトリミングして転載した。【2014年1月4日上図正式追補・国立国会図書館使用許諾済(許諾通知番号国図電1301044-1-5703号)】]
「あざらし」・「をつとせい」の如き海獸は皆大群をなして生活する。「いるか」なども、何十疋か揃つて汽船と競爭して泳いで行くのを見掛けることがある。陸上の動物でも羊・山羊・鹿・「かもしか」などを始め兎・鼠に至るまで、植物を食ふ獸類には群棲するものが甚だ多い。これらは皆單獨の生活を恐れ、なるべく群集から離れぬやうに注意し、萬一少しく離れることがあつても、直に群集の方へ歸つて來る。しかし群集の中では互に相助けることはなく、食物を奪ひ合つて喧嘩をするものも絶えぬ。或る書物に、人間の社會を冬期に於ける「はりねずみ」の群集に譬へて、全く相離れては寒くて堪らず、また密接し過ぎては痛くて困る。その中間に當る適度の距離が、所謂禮儀・遠慮であると書いてあつたが、普通の動物の群集も多くはこれに似たものであらう。但し一疋が危險を見附けて逃げ出せば、他はこれに雷同して全部殘らず逃げ去るといふ便宜はある。
[やぶちゃん注:『或る書物に、人間の社會を冬期に於ける「はりねずみ」の群集に譬へて、全く相離れては寒くて堪らず、また密接し過ぎては痛くて困る。その中間に當る適度の距離が、所謂禮儀・遠慮であると書いてあつた』とあるのは哲学者ショーペンハウアーの随筆集「余禄と補遺」(パレルガ・ウント・パラリポメナ)第二巻に載る寓話を指す。但し、正確にはこれを精神分析学者フロイトが「ヤマアラシのジレンマ」と呼んだことで、広く知られるようになったもので、「ハリネズミ」は誤りである(ヤマアラシとハリネズミの違いについては後述する)。以下、その訳をヤフー知恵袋の「ショーペンハウアーのヤマアラシのジレンマはどの本に載っていますか?」の答えにある秋山英夫氏訳になる「ショーペンハウアー 随想録」(白水社一九九八年復刊とある)から孫引きさせて頂く(カンマを読点に変更した)。
《引用開始》
やまあらしの一群が、冷たい冬のある日、おたがいの体温で凍えることをふせぐために、ぴったりくっつきあった。
だが、まもなくおたがいに刺の痛いのが感じられて、また分かれた。
温まる必要からまた寄りそうと、第二の禍がくりかえされるのだった。
こうして彼らは二つの難儀のあいだに、あちらへ投げられこちらへ投げられしているうちに、ついにほどほどの感覚を置くことを工夫したのであって、これでいちばんうまくやっていけるようになったのである。
――こうして、自分自身の内面の空虚と単調から発した社交の要求は、人びとをたがいに近づけるが、そのいやらしい多くの特性と耐えがたい欠陥は、彼らをふたたび突きはなすのである。彼らがついにあみだした中ぐらいの距離、そして共同生活がそれで成り立ちうるほどのへだたりというのが、礼節であり、上品な風習というわけだ。(中略)
しかし心のなかにたくさんの量の温か味をもっている人は、めんどうをかけたりかけられたりしたくないために、むしろ社交界から遠ざかっているのである。
《引用終了》
即ち、「ヤマアラシのジレンマ」とは、人間社会に於ける自己自立の欲求と、他者との一体感希求という相反する二つの欲求のアンビバレンツによるジレンマのことを指す。但し、ウィキの「ヤマアラシ」の解説にもあるように、心理学的には以上のような二律背反的な否定的意味以外に、『「紆余曲折の末、両者にとってちょうど良い距離に気付く」という肯定的な意味として使われることもあり、両義的な用例が許されている点』で注意が必要である。
さて、同ウィキのよればヤマアラシは、
哺乳綱齧歯(ネズミ)目ヤマアラシ上科のヤマアラシ科 Hystricidae 及びアメリカヤマアラシ科 Erethizontidae
に属する草食性齧歯類の総称で、体の背面と側面の一部に鋭い針毛を持ち、『通常、針をもつ哺乳類は外敵から身を守るために針を用いるが、ヤマアラシは、むしろ積極的に外敵に攻撃をしかける攻撃的な性質をもつ。肉食獣などに出会うと、尾を振り、後ろ足を踏み鳴らすことで相手を威嚇する。そして背中の針を逆立て、後ろ向きに突進する。針毛は硬く、ゴム製の長靴程度のものなら貫く強度がある』と記す。なお、ヤマアラシの棘は長く、外に向かって開くようにして逆立ち、対象に刺さると自切して抜ける点が特徴的である。
対する「ハリネズミ」はヤマアラシとは全く異なる生物種で、
哺乳綱ハリネズミ目ハリネズミ科ハリネズミ亜科 Erinaceinae
に属する、ミミズなどを採餌する雑食性の哺乳動物である。針状の棘は体毛の一本一本が纏まって硬化したもので、ヤマアラシのそれとは異なり、対象に刺さっても棘は抜けず、逆立てる場合も、内向きに重なり合うようする(以上は主にウィキの「ハリネズミ」などを参考にした)。同ウィキにも『ハリネズミはハリモグラやヤマアラシと混同されやすいが、ハリモグラは単孔目(カモノハシ目)、ヤマアラシは齧歯目(ネズミ目)であり、いずれも系統分類的にはハリネズミとは無関係である』とある。なお、ウィキの「ヤマアラシ」によれば、『実際のヤマアラシは針のない頭部を寄せ合って体温を保ったり、睡眠をとったりしている』とあって、しっかり身を寄せ合うことが出来ることも言い添えておきたい。]
野牛の群れが虎などに襲はれた場合には、強い牡牛は前面に竝んで敵に向ひ、弱い牝や子供はなるべく奧へ入れて保護するが、かやうな團體は「あはうどり」や「ペンギン鳥」の群集とは幾分か違ひ、若干の個體が共同の目的のために協力して働くのであるから、多少社會を形造る方向に進んだものと見做せる。また狼なども多數相集まつて、牛の如き大きな獸を攻めることがあるが、これもそのときだけは一つの社會を組み立てて居るといへる。但し元來互に相助ける性質のないものが、たゞ餌を食ひたいばかりに合同して居るのであるから、敵を倒してしまへば、利益分配に就いて説が一致せず、忽ち互に相戰はざるを得ぬやうになる。これらの例を見てもわかる通り、簡單な群集から複雜な社會までの間には種々異なつた階段があつて、臨時の社會、不完全な社會などを順々に竝べて見ると、その間に判然たる境界のないことが明に知れる。