耳嚢 巻之六 吝嗇翁迷心の事 その二
又
或在方に、かるき百姓の、農事商ひ等に精入れ稼ぎけるが、僅(わづか)に金子五兩を貯へしが、其邊常に立(たち)入る富家(ふうか)のあるじに向ひ、寔(まこと)に精心を表して死金(しにがね)を貯へ候が、貧家に置(おき)て盜難もおそろしければ、預り給はるべしと願ひしに、彼(かの)富翁(ふをう)も、渠(かれ)が精心を憐みて、そのこひにまかせ預りしが、四五日過(すぎ)て又來り、此間(このあひだ)の金を見せ給わるべしと乞ひし故、差出遣(さしだしつかは)し候處改(あらため)候て、又々預り呉(くれ)候樣(やう)にと、いふにまかせ預りしに、又四五日過て同(おなじ)やうに來りて、金を乞ひ改め、預けぬ。かゝる事四五度に及(および)しかば、富翁大(おほい)に憤りて、我(われ)なんぞ汝が金を預るにおろそかなるべしや、聊(いささか)の金子に度々來りて煩(わづらひ)をかくる事、何とも迷惑なれば、最早預りがたしと差戻しければ、ほうぼうと持(もち)歸りけるが、四五日も見へざる故尋(たづね)しに、彼もの右の五兩の金を握りて死し居(ゐ)けると也。人々哀(あはれ)と思ひて、彼金にて葬式等をなし、ねんごろに吊(とむらは)んとて、握りし金をとらんとせしが何分放さゞれば、せん方なく是も其儘に葬りしと也。
□やぶちゃん注
○前項連関;守銭院吝嗇翁居士「死ンデモ金ヲ放シマセンデシタ」二連発。
・「ほうぼうと」副詞「這ふ這ふ」の「はふはふ(ほうほう)」か。ならば、「あわてて」の意。岩波のカリフォルニア大学バークレー校版は「しをしをと」で、これなら副詞「萎萎」「悄悄」の「しおしお」で、気落ちして元気がないさま。悄然と。しょんぼりと、となる。後者を訳では用いた。
■やぶちゃん現代語訳
守銭院吝嗇翁居士の死しても金への迷妄の消えざりし事 その二
ある田舎にてのこと。
賤しき百姓男が、野良仕事の他に、ちょっとした行商なんどに精を出し、小金を稼いで御座ったと申す。
僅かに金子五両ばかりが貯まったところで、男の在所の近くにて、日頃から出入りして御座った裕福なる農家へと赴き、その主(あるじ)に向(むこ)うて、
「……まことに一途に、稼いで稼いで、ここにこうして、己(おの)が死金(しにがね)として貯へて参りましたが……我らが貧家に置きおいては、これ、盜まるること、恐ろしゅう感じますればこそ……どうか一つ、こちらさまにて、お預り下すっては頂けませぬかのぅ?」
と願(ねご)うたによって、かの富農の老主人も、男の一念の志しを憐れんで、その乞いに任せて預ったと申す。
ところが、四、五日ほど過ぎて、かの男、また来たっては、
「……このあいだの金……お見せ下さいませぬか?……」
と乞うたによって、厳重に仕舞い置いたる納戸より、かの五両を取り出だいて、差し出し見せてやったところ、男は――しけじけ――一枚一枚を――舐め齧って――改めた上、またしても、
「……確かに。……さても続いて預り下さいまするように。……」
と申す。その改めように、何やらん、厭(いやー)な気がしないではなかったが、また、言うに任せて預って御座ったと申す。
ところが、またまた、四、五日過ぎて、男、同じ如、参っては、金を乞うて出ださせ――またしても――しけじけ――舐め齧っては改め――再び預けて御座ったと申す。
かかることが、これ、四、五度にも及んだによって、鷹揚なる老主人も流石に大いに憤り、
「我れ、なんぞ! そなたが金を預るに、いい加減に――その辺に転がしておき、誰かに盗まれたり、贋金にすり替えられたりするような――そんな疎(おろそ)かなこと、これ、しようものカイ! たかが五両ばかりの金子がために、度々来たっては、しけじけ舐め齧って改め、時と手間の煩いを我らにかくること、これ、迷惑千万! 最早、預り難い!」
と啖呵を切って突っ返したところ、男は如何にもしょんぼりとして、持ち帰って御座ったと申す。
それから四、五日経っても、男の姿を見る者がなかったゆえ、少々、きつく言い過ぎたかと思うた老主人が散歩のついでに男の家を訪ねてみたところが……
……かの者……
……あの五両の金を……
……握りしめたままに……
……薄汚れた囲炉裏端にて……
……坐ったまま……
……とうに……
……冷とうなって御座った。――
在所の者どもも皆、哀れに思うて、
「……死金として大事大事に致いたものなれば、かの五両の金をもって葬式なんどをなし、懇ろに弔(とむろ)うてやるがよろしかろう……」
ということになり、握って御座った金子を取ろうとしたところが……
……これ……
……いっかな……
……放さぬ――
……なれば、仕方なく――これも前話と同様――その金子を握ったままに、葬ったとのことで御座る。