大渡橋 萩原朔太郎 (初出形)
大渡橋
ここに長き橋の架したるは
かのさびしき惣社(さうしや)の村より、直(ちよく)として前橋の町に通ずるならん。
われここを渡りて、荒寥たる情緖の過ぐるを知れり
往(ゆ)くものは荷物を積み、車に馬を曳きたり。
あわただしき自轉車かな
われこの長き橋を渡るときに
薄暮の飢えたる感情は苦しくせり。
ああ故鄕にありてゆかず
鹽のごとくにしみる憂患の痛みをつくせり
すでに孤獨の中に老いんとす
いかなれば今日の烈しき痛恨の怒を語らん。
いまわがまづしき書物を破り
過ぎゆく利根川の水にいつさいのものを捨てんとす。
われは狼のごとく飢えたり
しきりに欄干(らんかん)によりて齒嚙めども
せんかたなしや、涙のごときもの溢れ出て
頰につたひ流れてやまず。
ああ我れはもと卑陋なり。
往(ゆ)くものは荷物を積みて馬を曳き
このすべて寒き日の平野の空は暮れんとす。
[やぶちゃん注:『日本詩人』第五巻第六号 大正一四(一九二五)年六月号に所収された「郷土望景詩」十篇の七番目。二連目二行目の「つくせり」は「くくせり」であるが、意味が通じず、「つくせり」の誤植と判断して「純情小曲集」版の「つくせり」に代え、また、同二連の終わりから三行目も「ああれはもと卑陋なり。」であるのを、脱字と判断して同じく「純情小曲集」版の「我」を補った。その他の歴史的仮名遣の誤り(「さうしや」は「そうしや」が、「飢え」は「飢ゑ」が正しい)は総てママ。底本は二連目の中間部の「せんかたなしや、涙のごときもの溢れ出て」の「て」を「で」の誤植ととっているようだが、「出(いで)て」とも読めると私は判断する。なお、以下に同誌に附された「郷土望景詩の後に」を示す。ルビの「おお」はママ。]
大渡橋
◎大渡橋(おおわたりばし)は前橋の北部、利根川の上流に架したり。鐵橋にして長さ半哩にもわたるべし。前橋より橋を渡りて、群馬郡のさびしき村落に出づ。目をやればその盡くる果を知らず、冬の日空に輝やきて、無限にかなしき橋なり。
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