大渡橋 萩原朔太郎 (「純情小曲集」版)
大渡橋
ここに長き橋の架したるは
かのさびしき惣社の村より 直(ちよく)として前橋の町に通ずるならん。
われここを渡りて荒寥たる情緒の過ぐるを知れり
往くものは荷物を積み車に馬を曳きたり
あわただしき自轉車かな
われこの長き橋を渡るときに
薄暮の飢ゑたる感情は苦しくせり。
ああ故鄕にありてゆかず
鹽のごとくにしみる憂患の痛みをつくせり
すでに孤獨の中に老いんとす
いかなれば今日の烈しき痛恨の怒りを語らん
いまわがまづしき書物を破り
過ぎゆく利根川の水にいつさいのものを捨てんとす。
われは狼のごとく飢ゑたり
しきりに欄干(らんかん)にすがりて齒を嚙めども
せんかたなしや 淚のごときもの溢れ出で
頰(ほ)につたひ流れてやまず
ああ我れはもと卑陋なり。
往(ゆ)くものは荷物を積みて馬を曳き
このすべて寒き日の 平野の空は暮れんとす。
[やぶちゃん注:「純情小曲集」(大正一四(一九二五)年八月新潮社刊)より。「郷土望景詩」の第七番目。初出の句読点の用法は朗読の目安として極めて示唆に富む。また、二連中央部の「しきりに欄干にすがりて齒を嚙めども」はオーバー・アクトで、初出の「しきりに欄干によりて齒嚙めども」に若かない、と私は感ずるものである。二十九年前、私は高校三年生の現代国語の教科書に載るこれを授業したのを忘れぬ。今思えば、二十七歳の私が、この詩を受験を控えた高三の生徒にわざわざ選んで教えたというシチュエーション自体が、今時の公教育の「道徳」観から言えば、如何にもアウトローであると言われよう。そこが、如何にも懐かしいのである。なお、初出同様、以下に同詩集末に附された「郷土望景詩の後に」を示す。]
Ⅱ 大渡橋
大渡橋(おほわたりばし)は前橋の北部、利根川の上流に架したり。鐵橋にして長さ半哩にもわたるべし。前橋より橋を渡りて、群馬郡のさびしき村落に出づ。目をやればその盡くる果を知らず。冬の日空に輝やきて、無限にかなしき橋なり。