西東三鬼 拾遺(抄) 昭和十五(一九四〇)年
昭和十五(一九四〇)年
ともすれば寒夜わが口唾を吐く
獨樂
きちがひの少女なり獨樂廻り澄む
冬蓄薇きちがひの貌に向きひらく
冬の鏡にきちがひ少女のかくすところ
寒き窓きちがひ少女うしなはず
[やぶちゃん注:以上四句は同年『俳句研究』二月号。後の「現代俳句・第三巻」(昭和一五(一九四〇)年六月刊)の中の「西東三鬼集『空港』」に所収された。]
鴉よ
鵠よ荒園の風ふたりにも吹く
突く女冬の大腸を足元に
冬園に突けり十箇の爪光る
枯園に一滴の涙光り落つ
[やぶちゃん注:以上四句、『俳句研究』二月号所収のもの。]
牡蠣
空港なりライタア處女の手にともる
戀ふ寒し身は雪嶺の天に浮き
計算の零(ゼロ)るいるいと牡蠣の前
牡蠣に酢を喇叭隊來て消え行けば
牡蠣啜りをはり紙幣を數へゐる
[やぶちゃん注:以上五句は『天香』四月号所収のもの。]
鯉
地下室の鯉黑し見つゝ憂き男女
女の前に戻し冬の胡瓜嚙む
處女の背に雪降り硝子夜となる
手を別つ寒き竝木は根の如し
寒夜明るし別れて少女馳け出だす
冬景をまつすぐに女風と來る
寒い橋を幾つ渡りしと數ふ
人と並び落暉北風身にひびく
別離の顏冬の落曙に向き背く
夜間飛行
春のホテル夜間飛行に唇(くち)離る
空港に兄と花束夜明けくる
少女指せば晝月ありぬ春の終
中學生屋根に哄笑し春終る
初夏太陽點々道の鋲にある
[やぶちゃん注:以上十四句は昭和一五(一九四〇)年六月刊の「現代俳句・第三巻」の中の「西東三鬼集『空港』」に所収された昭和十五年分から。]
五月の河
半身に五月烈しく河臭ふ
河暑し油と友の顏流る
河黑し暑き群集に友を見ず
暑き河に憤怒の唾を吐き又吐く
唾滴れ怒れる汗は黑き河に
[やぶちゃん注:以上五句は『天香』六・七月合併号所収。]