西東三鬼 拾遺(抄) 昭和三十六(一九六一)年
昭和三十六(一九六一)年
網干して砂が疊の冬の濱
寒雷が滝のごとくに裸身打つ
睡蓮にひそみし緋鯉戀いわたる
[やぶちゃん注:「戀い」はママ。]
[やぶちゃん後注:底本の昭和三十七(一九六二)年分は、その総てが先にテクスト化した角川書店より昭和五五(一九八〇)年四月に刊行された「西東三鬼読本」収載分である「『變身』以後」に収録されており、その他の句は所載しない。但し――実は二千七百三十五句を載せる底本の平成四(一九九二)年沖積舎刊の「西東三鬼全句集」とは――三鬼の現存する全句を網羅したもの――ではない――のである。確かに三橋敏雄氏の凡例には『句帳・ノート・日記・色紙・短冊ほかに記されたいわゆる未発表作品は、収載を見合わせた。』とある。ここで申し添えておきたいのであるが――かくも本電子化に際し、お世話になった書物乍ら、しかし、敢えて言わせて戴くならば――例えば、本書以前に出た句と随筆の抄録集である同じ三橋敏雄氏の編になる朝日文庫「現代俳句の世界9 西東三鬼集」(昭和五九(一九八四)年刊)には、この「全句集」に所収しない拾遺が「拾遺二」と「拾遺三」だけでも百十一句載せられているのである(以下の「拾遺(やぶちゃん抄)Ⅱ」及び同「Ⅲ」を参照。なお、同朝日文庫版の都市出版社昭和四六(一九七一)年刊の大高弘達・鈴木六林男・三橋敏雄編「西東三鬼全句集」からの抄録である「拾遺一」所収の句は、その総てが沖積舎版に載っている)。こういう三鬼の句集類のこれまでの出版史の中で、果たして沖積舎版が『全句集』を名打つのは、果たして正しいと言えるであろうか? 私自身、沖積舎版を三鬼の「全句集」だと信じて買ったし、正直言えば、凡例部をちゃんと読んだつい先日前までの、実に本書を購入してから二十年余りずっと、私は書名から「全句集」と信じ続けてきたのである(――凡例を読まないお前が馬鹿である、他の購読者は皆、凡例を読んでから全句集かどうかを調べてちゃんと買うのだ――と言われるのであれば、そう言うあなたは、如何なる人をも言葉をも信じない真正懐疑主義者であるわけだから、『他の購読者がそう考える』と言うあなたの謂い自体が偽(ぎ)であるので、私はあなたとは金輪際、議論をしようとは思わないと言い添えておこう)。せめて、近い将来、真に西東三鬼全句集と言えるものが出されるべきであるとだけは言っておこう。]
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