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2013/02/26

金草鞋 箱根山七温泉 江之島鎌倉廻 長壽寺・明月院

   長壽寺・明月院

 

 長壽寺(てうじゆじ)、龜(かめ)が谷(やつ)にあり。寶龜山(ほうきざん)といふ。源基氏(みなもとのもとうじ)公の建立。昔は伽藍、大寺(でら)なり。淨智寺(じやうちじ)は鎌倉五山の四番目なり。開山(かいさん)は宋の佛源(ぶつげん)禪師、本願は平師時(たいらのもろとき)なり。この向ひに明月院(めいげついん)といふあり。上杉憲方(うへすぎのりかた)の建立。この上の山を六國(こく)見といふ。これより見わたせば、安房、上總、武藏、下總、相模、伊豆の六國、一目(ひとめ)に見ゆるといへり。

〽狂 けいだいのきれいさ

   はうきざんなれば

 ばくばかりなる

  堂(どう)のほりもの

旅人

「上方(かみがた)の旅籠屋(はたごや)には、五右衞門風呂(ゑもんぶろ)といふがあつて、わるくすると、底板(そこいた)がういてあるから、それをとりのけてはいつて、直(じき)に釜で火傷(やけど)をするが、昨夜(ゆふべ)の宿(やど)も、その水風呂(すいふろ)でこまりはてた。」

「儂(わし)はまた田舍へいつたとき、水風呂へいつたところが、あんまりぬるいから、

『これこれ、ちつと、湯の下をたいてくだされ』

といふと、宿の男(おとこ)が、

『かしこまりました』

といつて、藁(わら)であみたてた御鉢(おはち)の蓋(ふた)のやうな大きな物をもつてきて、儂のはいつている頭の上からかぶせるから、

『これは、どうするのだ』

といふと、

『水風呂に蓋をしてたきます』

といふから、

『まつてください、その蓋を頭からきせられて、火をたかれたら、ゆでころされるであらう』

といふと、その男が、

『いやいや、この蓋の穴から首をだしておいでなされ』

といふから、よくよく見れば、その蓋の眞ん中に、首をだすほどの穴があいているゆへ、體は水風呂にいりてゐながら、蓋をして、蓋の穴から首ばかりだしてゐる、その可笑しさ。

『獄門のやうだ』

と大笑ひしたが、あるくと、いろいろな事があるものでござります。」

「獅子舞いがきた。しゝの十二文でまつてください。」

「江戸へいつたら、京橋(ばし)の南傳馬(みなみてんま)丁の仙(せん)女香(かう)をかつてきてくれと、隣りの娘にたのまれたから、かつてきてやらずばなるまい。」

[やぶちゃん注:「源基氏公の建立」長寿寺の開基については、基氏が父足利尊氏の菩提を弔うために建立したとするこの説の他に、実は足利尊氏自身を開基とする説もあり。詳しい寺の歴史は不明である。

「佛源禪師」大休正念の諡号。浄智寺は開山の経緯が特異で、当初は日本人僧南洲宏海が招聘されるも、任が重いとして、自らは准開山となり、自身の師であった宋からの渡来僧大休正念(文永六(一二六九)年来日)を迎えて入仏供養を実施、更に正念に先行した名僧で宏海の尊敬する師兀菴普寧(ごったんふねい)を開山としたことから、兀菴・大休・南洲の三名が開山に名を連ねることとなった。但し、やはり宋からの渡来僧であったこの兀菴普寧は、パトロンであった時頼の死後に支持者を失って文永二(一二六五)年には帰国しており、更に実は浄智寺開山の七年前の一二七六年に没している。

「本願」開基。

「平師時」北条師時(建治(一二七五)年~応長元(一三一一)年)。第十代執権。浄智寺は第五代執権時頼三男北条宗政の菩提を弔うために弘安六(一二八三)年に創建、開基は北条師時とされるが、当時の師時は未だ八歳であり、実際には宗政夫人と兄北条時宗の創建になる。

「上杉憲方」(建武二(一三三五)年~応永元(一三九四)年)は関東管領。法号・戒名を明月院天樹道合と言い、墓所は明月院に現存する。

「六國見」「りつこくみ」又は「りつこくけん」(現在の通称は後者が優勢で「ろっこくけん」とも呼ばれている)と読む。「新編鎌倉志卷之三」では「見」には「ミ」とルビを振る。

「ばくばかりなる」「ばく」は悪しき夢を食うという想像上の神獣「獏」。私は遠い昔、特別公開の折りに少しだけ拝観したきりで、長寿寺の荘厳具の中に獏が多数登場しているのかどうかについては知見を持たない。識者の御教授を乞うものであるが、もし、現在、それがないとすれば、この江戸末期の長寿寺の面影を知る上で非常に貴重な狂歌ということになる(獏が実際に長寿寺に彫られていなければ、この狂歌は狂歌としておかしから、恐らくあったと考えねばならぬ)。

「水風呂」茶の湯の道具である水風炉(すいふろ)に構造が似るところから、桶の下にかまどを取りつけて浴槽の水を沸かして入る形態の風呂を言う。まさにここで問題になっている五右衛門風呂は水風呂の一種である。通常は、海水を沸かした塩風呂やサウナのような形態の異なる蒸し風呂などに対して用いる語である。「すえふろ」とも読む。

「五右衞門風呂」竈の上に鉄釜を据え附けて下から火を焚いて直接に沸かす風呂。全体を鋳鉄で造ったタイプと湯桶の下部分に鉄釜を取り附けたタイプのものとがあり、入浴する際には浮いている底板を踏み沈めて入る。釜風呂。名称は石川五右衛門が釜茹での刑に処せられたという俗説による。なお、ウィキの「石川五右衛門」によれば、彼は秀吉の甥豊臣秀次の家臣木村常陸介から秀吉暗殺を依頼されるも、秀吉の寝室に忍び込んだ際に香炉が鳴って捕えられ、三条河原で煎り殺されたとされるが、この「煎り殺す」というのは「油で揚げる」の意であると主張する学者もいるとある。また、『母親は熱湯で煮殺されたという。熱湯の熱さに泣き叫びながら死んでいったという記録も実際に残っている』とあり、他にも、子供と一緒に処刑されることになっていたが、『高温の釜の中で自分が息絶えるまで子供を持ち上げていた説と、苦しませないようにと一思いに子供を釜に沈めた説がある。またそれ以外にも、あまりの熱さに子供を下敷きにしたとも言われている』。いや、『釜茹でではなく釜で焼かれた』という説も記されてある。

「御鉢」炊き上げた飯を入れておく木製の容器。飯櫃(めしびつ)。御櫃(おひつ)。

「獄門」獄門首、晒し首のこと。

「しゝの十二文」九九の四四十六を十二と誤る、絵の中の今、走り来たった感じの鈍愚な子守の小僧の台詞であろうか。右手中央の茶屋の床几の旅人は、その誤りを聴きつけて笑ってでもいるかのようにも見える。

「京橋の南傳馬丁の仙女香」は「美艶仙女香」という白粉(おしろい)。京橋南伝馬町の稲荷新道にあった坂本氏が販売していた。「歴史人公式ホームページ 歴史人 歴史人ブログ」の村田孝子氏の「大江戸娘のお洒落帖」の「第2回 美艶仙女香―嶄新な宣伝手法」に、以下の記載がある(アラビア数字を漢数字に代え、改行部を総て繫げ、記号の一部を変更させて戴いた)。

   《引用開始》

美艶仙女香が描かれた浮世絵は、今、確認しただけでも四〇点以上あり、歌川広重なども宿場のなにげない風景のなかに仙女香の宣伝をしているものもあります。また、浮世絵だけでなく、為永春水が天保三~四年(一八三二~三三)に書いた人情本「春色梅児誉美」にも、この美艶仙女香がいい薬が入った白粉として宣伝しています。当時の浮世絵、人情本などをたくみに使って広告をしたのでしょう。ただ、「春色梅児誉美」の書かれた頃は、まだ美艶仙女香も江戸の女性たちが大いに使用していたのでしょうが、天保十一年(一八四〇)に天保の改革が行われ、奢侈禁止令などが度々発令されたことによって、化粧もあまりおこなわれなくなりました。これだけいろいろなものに登場して、一世を風靡した「美艶仙女香」でしたが、まだ本物に巡り合っていません。どこかに眠っているのでしょうか。一度見てみたい気がします。

   《引用終了》

それにしても、なるほど。御当地タイアップではなく、こうした挿入広告という手法もあった訳だ。目から鱗。特に、これを呟いているのは、私には左側の中央で大きな俵を担いでいる人夫風の、如何にも実直そうな中年男のように思われ、同じような、しがない中年で、長屋の隣りの娘にそれとなく惚れている町人なんどが、ここを読めば、「儂も隣の娘に、一つ、美艶仙女香、買(こ)うたろ!」という気になったりしたのかも、知れないなあ……。]

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