生物學講話 丘淺次郎 第六章 詐欺 五 死んだ眞似
五 死んだ眞似
エソップ物語の中に、大の友達が森の中で熊に出遇うたとき、逃げ後れた一人が地上に横たはり、死んだ眞似をして無事に助かつたといふ話があるが、實際動物の中には死んだ餌は食はぬものがある。かやうな動物に出遇うたときは、動くことは頗る危險で、一時死んだ眞似をして居ればその攻撃を免れることが出來る。小さな動物には、常にこの方法を用ゐて食はれることを免れて居るものが決して少くない。昆蟲類を採集する人は誰も知つて居るであらうが、甲蟲などにも指で摘むと忽ち足を縮めたまゝで、轉がしても落しても少しも姿勢を改めず、全く死んだ通りに見せるものが幾らもある。また「くも」の類にも捕へると直に死んだ眞似をして、足を縮めて動かぬものが頗る多い。これらは、いづれも捕へられさうになつても、逃げもせず隱れもせず單に靜止するだけであるから、採集者の方からいふとこの位都合のよいことはない。
[やぶちゃん注:この知られたイソップの「熊と旅人」の寓話について、ウィキの「熊と旅人」には以下のようにある。二人の男が旅をしていた。ある大きな森の中の道を歩いていると、目の前に一頭の熊が現われた。一人の男はすぐに近くの大木に攀じ登ったが、もう一人の男は逃げ遅れ、仕方なく地面に倒れて死んだふりをした。熊はその男の耳元に口を当てていたが、しばらくすると森の奥に姿を消した。木の上の男は、安心したので降りて、逃げ遅れた男に「熊は君の耳に何か囁いていたようだが、何て言っていたんだね?」と訊ねたところ、男は答えた。「ああ、言っていた。危ない時に友達を捨て、自分だけ逃げるような薄情な相手とはもう別れろ、とね」。これは『友人は大切にせよ、自分だけいい目を見ようとするな』という教訓が主眼で『旅人が死んだふりをして熊をやり過ごす逸話は、単なる設定にしか過ぎなかった』。『それにもかかわらず、後世、本来の教訓は忘れられ、「熊に出会ったら、死んだふりをすると助かる」、という誤解が一人歩きするようになった。このために死傷した例も報告されている。熊は肉食獣であり死体も食べるため、熊の前で死んだまねをするのは自殺行為と言える』とある。一般に、死んだふりは論外であるが、では何故、これほどまでにそうした俗信が広まったかについては、知られた本話以外の要因もあるようだ。「エキサイトニュース」の二〇〇八年十一月十六日附の『「熊にあったら死んだフリ」はなぜ広まったのか』という記事に、『NPO日本ツキノワグマ研究所代表の米田一彦さんに聞いてみたところ、「なかなか良い質問です」として、その回答があるという『生かして防ぐ
クマの害』(農山漁村文化協会)を紹介してくれた』とあって、当該書(米田一彦氏著一九九八年刊)に熊による殺傷事件は北海道の開拓時代には沢山あり、そのうち、歴史上で日本最大の事件が、大正四(一九一五)年に起こった北海道の苫前村で起こったものだという。これは、一頭のヒグマが、二晩のうちに胎児を含めて七人を殺し、三人に重軽傷を負わせ、しかも、犠牲者の多くを食ったという事件で、ヒグマが何度も襲ってくるなか、六日目でようやく射殺されたのだ。ところが、この事件では無傷で生き残った十一歳の男子と六歳の女子がいたという。以下のような記述があるという(以下、記事からの孫引き)。「男の子は積んであった俵の間に潜って難を逃れたが、女の子は布団の中で、事件を知らずに眠っていたのだ。小さな女の子に命を残したのは、神の気まぐれだったのだろうか。クマに敵愾心もいだかず恐怖心も与えず、身動きしなかったことが、女の子が助かった理由だろうか」「熊には、自分が倒した自分の獲物に執着し、その獲物を妨げる者を『排除』しようとする習性が強い。そのことが犠牲者を追跡したり、遺骸から離れない執拗さとなって現れるのだ」(以下は記事からの引用。「/」は改行部)。『つまり、たまたま何の抵抗もなく眠っていた女の子が、熊の被害から逃れたというエピソードが広まり、迷信を生むきっかけの1つになったということは十分考えられるよう。/実はこれに近い事件が、明治から昭和初期まで数多くあったともいう』。『歴史的には、「眠っていて助かった子がいた」という記録は確かにあった。とはいえ、やはり「死んだフリ」は有効手段でないのは紛れもない事実。/改めて、「死んだフリ」は危険なので、絶対にやめましょう』とあった。この凄惨な事件は三毛別羆(さんけべつひぐま)事件(又は六線沢熊害(ろくせんさわゆうがい)事件・苫前(とままえ)羆事件とも)と呼ばれ、大正四年十二月九日から十四日にかけて北海道苫前郡苫前村三毛別(現在の苫前町古丹別三渓)の六線沢で発生した、吉村昭の小説「羆嵐(くまあらし)」のモデルとして知られる国内最大の獣害事件である(事件の詳細はウィキの「三毛別羆事件」を参照されたいが、かなり凄惨であるので閲覧に注意を要する)。なお、それでは具体的な熊に遭遇した際の有効性のある対策を北海道野生動物研究所(所長門崎允昭氏)のHPの「もし、熊に遭ったら、どうする!本当の熊対策」(講談社発行、アウトドア雑誌「FENEK」二〇〇六年十月号掲載記事)から引用しておく(アラビア数字を漢数字に代え、記号の一部を変更・追加した)。
1 必ず鉈を携帯する(武器として実用的な物であること)。
2 音の出る物(ラジオや鈴など)で常時音を立てて歩くと、辺りの音の異常が感知し難いので、要注意である。それよりも、時々声を出すか、笛を吹いた方がよいと思う。
3 辺りを充分注視しながら進む。見通せる範囲はもとより、その先の死角部分では、特に歩調をゆっくり遅めて、注視すること。
4 万が一熊に出会ったら(二〇メートル以上距離がある場合)、走らないで、熊の様子を窺いながら、熊から離れること。
5 距離が一〇数メートルないし数メートルしかない場合は、その場に止まりながら、話しかけること(最初は普通の音声で、それからは大声で)。そして熊が立ち去るのを待つ。自分も少しずつ、その場から離れてみる。
6 (私は未経験だが、)側にのぼれる木があればのぼり逃げる。襲ってきたら死にものぐるいで鉈で熊の身体のどこでもよいから叩く。
とある。2のラジオや鈴は一般的にはよく言われるが、このように指摘されてみると、その通りという気がする。ネット記載には他にも、熊の顎の辺りを凝っと見ながら静かに後退するとか、自分が持っているものを熊の目の前に投げて熊がそれに気を取られているうちに逃げるのも有効、とあるが……いざとなったら、「熊の顎の辺りを凝っと見ながら静かに後退する」なんどというのは、これは、なかなか難しいわい。……]
かやうな動物が實際何程まで敵の攻撃を免れ得るかは、自然の生活狀態を詳しく觀察しなければ分らぬことであるが、相手となる動物に就いて實驗して見ても大體の見當は附く。昆蟲類を主として食ふ「ひきがへる」で實驗して見るに、何でも動くものには直に注目するが、動かぬものは少しも顧みない。小さく丸めた紙片も、卷煙草の吸殼でも、絲で吊して上下に動かして見せると、忽ち近づいて來て一口に嚥んでしまふが、毛蟲や甲蟲の如き日頃最も好んで食ふものでも、死んで動かぬやうになつたのは知らずに居る。また「とんぼ」なども常に昆蟲類を食つて居るものであるが、殆ど頭の全部をなす程の大きな眼は所謂複眼であって、幾萬の小單眼が集まつたもの故、動く物體を識別するには特に有功である。博覧會や共進會へ行つて見ても、腦漿を絞つて工夫した巧妙な器械の前には見物人が少くて、單に人形が首を振つて居るだけの下らぬ廣告の周圍には、人が黑山の如くに集まつて居る所から考へると、普通の人間も「ひきがへる」と同樣に、たゞ動くものにのみ注意するやうであるが、死んだ眞似をして居れば、かかる性質の敵からは見逃される望が多い。また小鳥類などは鋭い眼で、絶えず注意して昆蟲を搜して居るから、その攻撃を免れることは容易でないが、中には嘴で觸れて見て、匍ひ出せばこれを啄み、動かなければ死んだものと見做して、捨てて顧みぬものもあるから、死んだ眞似をするものの幾割かは無事に助かることにならう。いづれにしても、この方法は護身のために功を奏する場合が決して少なくない。
[やぶちゃん注:「共進會」明治前期における政府の殖産興業政策の一つ。明治政府の工業化政策は明治六(一八七三)年の内務省設置以後、財政難や貿易収支の悪化によって工部省の直営事業に対する批判が高まり、民業の育成が緊急の課題として強調されるようになったことから大きく変化した。試験場・学校の経営、民業助成などに当った勧業寮(明治一〇(一八七七)年に勧農局と改称)や各種博覧会事務局が内務省内に設けられ、明治一〇年秋には第一回内国勧業博覧会が上野公園で開催された後、各地方の代表的な物産や技術を一堂に集め、一般の観覧に供するとともに生産者・販売者に優劣を競わせて品質改良・産業振興を図る目的で明治一二(一八七九)年、横浜で開かれた製茶共進会及び生糸繭共進会が最初で、特に殖産興業政策の一環として生糸・茶・織物などを中心に各地で催された。競進会とも(以上は平凡社の「世界大百科事典」と「マイペディア」の記載をカップリングして示した)。]
死んだ眞似をするものは、昆蟲や「くも」のやうな小さな動物のみに限るわけではない。獸類の中でも、狸などは昔から死んだ眞似をするので有名なもので、生捕られてから打たれても擲かれても少しも動かず、少々皮を剝がれても知らぬ顏で我慢するとまでいひ傳へられて居る。そして敵が油斷すれば、その隙を窺つて遽に躍ね起き逃げ出さうとする。「狸寢入り」といふ言葉は、恐らくこれから起つたのであらう。猛獣の中には生きたものでなければ食はぬといふ習性のものもあらうから、狸の計略が功を奏して、巧に助かることも屢々あり得ることと思はれる。
[やぶちゃん注:本段に記されたタヌキの擬死現象について、まず、ウィキの「タヌキ」には、『死んだふり、寝たふりをするという意味の「たぬき寝入り(擬死)」とよばれる言葉は、猟師が猟銃を撃った時にその銃声に驚いてタヌキは弾がかすりもしていないのに気絶してしまい、猟師が獲物をしとめたと思って持ち去ろうと油断すると、タヌキは息を吹き返しそのまま逃げ去っていってしまうというタヌキの非常に臆病な性格からきている。同様の習性を持つことから、擬死を指す表現として英語圏では fox sleep(キツネ寝入り)、それよりさらに一般的なものとして playing
'possum(ポッサムのまねをする)という言いまわしがある』とある。同じウィキの「擬死」には、『ニホンアナグマやホンドタヌキ、エゾタヌキなど、主に哺乳類における擬死の利点』についての項があり、そこには、「擬死の機構」として『動物は自らの意志で擬死(死にまね。death feigning, playing possum)をするのではなく、擬死は刺激に対する反射行動である。哺乳類では、タヌキやニホンアナグマ、リス、モルモット、オポッサムなどが擬死をする。擬死を引き起こす条件や擬死中の姿勢、擬死の持続時間は動物によって様々である』とし、『イワン・パブロフは脊椎動物の擬死の機構を』『不自然な姿勢におかれた動物がもとの姿勢に戻ろうとしたときに抵抗にあい、その抵抗に打ち勝つことができない場合にはニューロンの過剰興奮を静めるための超限制止がかかってくる』と説明している、とある。次に「擬死を引き起こす刺激」として、『拘束刺激は擬死を引き起こす刺激の一つである。カエルやハトなどは強制的に仰向けの姿勢をしばらく保持すると不動状態になる。また、オポッサムはコヨーテに捕獲されると身体を丸めた姿勢になって擬死をする』とある。以下、これらの哺乳類の「擬死の利点」の項。『本種が擬死を行うことによる利点として、身体の損傷の防止と捕食者からの逃避が考えられる。擬死は捕食者に捕えられたときなどに起こる。捕食者から逃げられそうにない状況下で無理に暴れると疲労するだけでなく、身体を損傷する危険がある。捕食者は被食者』『が急に動かなくなると力を緩める傾向がある。このような時に捕食者から逃避できる可能性が生まれる。この機会を活かすためには身体の損傷を防ぐ必要がある』とある。最後に「擬死の特徴」として、『擬死中の動物は、ある姿勢を保持したまま不動になる。その姿勢は動物により様々である。ただ、不動状態のときの姿勢は普段の姿勢とは異なる不自然な姿勢である。
動物は外力によって姿勢を変えられると、すぐに元の姿勢を維持しようして動作する。この動作を抵抗反射(resistance
reflex)という。しかし、擬死の状態では抵抗反射の機能が急に低下して、不自然な姿勢がそのまま持続する。このような現象をカタレプシー(catalepsy)という。カタレプシーは擬死中の動物すべてにあてはまる特徴である。 擬死の持続時間は、甲虫類以外は数分から数十分で、擬死からの覚醒は突然起こる。擬死中の動物に対して機械的な刺激(棒で突つくなど)を与えると覚醒する(甲虫類は逆に擬死が長期化する)。
擬死中は呼吸数が低下し、また、様々な刺激に対する反応も低下する。 擬死中の動物の筋肉は通常の静止状態の筋肉と比較してその固さに違いがあり、筋肉が硬直している。そのため、同じ姿勢を長時間維持することが可能となる』と記す。このようなタヌキなどの持つ特異な生態を広義の生体防御システムと捉えるならば(勿論、私はそう考える)、丘先生の、古来、人を化かすと言われた「狸の計略が功を奏」す、「敵が油斷すれば、その隙を窺つて」という見かけ上の謂いも、人間さまが擬死を本当の死として「油斷」しているのであるから、これ、強ちおかしな謂いとは言えない。]
死んだ眞似をすることは、危險に身を曝して僥倖を待つのであるから、必ずしも安全な方法とはいへぬが、或る種類の相手に對しては、最も容易なしかも勞力を要することの最も少い經濟的な護身の方法である。譬へば、言論の自由を許されぬ國で、新思想家が沈默によつて刑罰を免れて居るのと理窟は變らぬ。但し自分が慥に死んで居るか否かを確めるために敵がさまざま檢査する間、少しも生活の徴候を現さずに堪へ忍ぶことは、大なる苦痛であると同時に大なる冐險であるから、どの種類の動物でもこれを行つて利益があるといふわけには行かず、たゞこの方法によって有功に敵の攻撃を免れ得べき望のある若干の種類だけが、專門にこれを行つて居るに過ぎぬ。
以上種々の異なつた例を擧げて述べた通り、相手を欺くといふことは自然界には極めて廣く行はれて居る。色や形を他物に似せて、自分の居ることを相手に心附かさぬことは、餌を取るに當つても敵を防ぐに當つても同樣有功であるが、これを十分有功ならしめるには、それぞれこの目的にかなうた特殊の習性を具へねばならぬ。例へば、菜の花の色と同じ黄色の蝶が、平氣で赤い牡丹の花に止まるやうでは何の役にも立たず、如何に桑の「枝尺取り」が桑の小枝に似て居ても、枝と一定の角度をなして止まり、體を眞つ直ぐにして少しも動かずに居るといふ習性がなければ、到底敵の眼を眩すことはことは出來ぬ。それ故、このやうな動物を見ると、恰も皆、故意に敵を欺くことを努めて居るかの如くに思はれる。また擬態の如きも、十分功を奏するには種々の條件が具はらねばならぬ。例へば、如何に巧にある味の惡い蝶に似て居ても、その蝶が普通に居らず、隨つて鳥類がその蝶味の惡いことを知らぬといふやうな地方では無論何の功もない。また擬態せられる蝶よりも、これを擬態する蟲の方が多くなれば、この場合にも無功になる虞がある。なぜかといふに、飢に迫つて冐險的になつた鳥、または經驗の乏しい若い鳥が、この蝶を啄むとき、まづ擬態の方を食ひ當てれば、その味の惡くないことを覺えて、悉くこれを食はうとするから、忽ち擬態する蟲も擬態せられる蝶も、共に恐慌を來すに至るからである。なほその他の場合に於ても、詐欺が完全に行はれるには種々の事情がこれに適して居なければならぬが、適當な事情の下に於ては、詐欺は食ふためにも食はれぬためにも、頗る有功な方法である。
要するに、動物は餌を食ふため、敵に食はれぬためには、あらゆる手段を用ゐて居る。一種毎に就いていへば、或は速力によるもの、或は堅甲によるもの、または勇氣によるもの、囘復力によるものなど、各種に最も適する方法を取つて居るが、全部を通覽すると殆ど如何なる方法でも用ゐられ、生きるといふ目的のためには決して手段を選ばぬ觀がある。そして詐欺はたゞその中の一部分に過ぎぬ。人間社會では武器を以て正面から戰ふのは立派なこと、詐欺で相手を陷れるのは卑劣なことと見做し、その間には雲泥の相違がある如くに感ずるが、全生物界を見渡せば、いづれも同一の目的を達するための異なつた手段に過ぎず、決して甲乙を論ずべきものではない。即ち詐欺で敵の眼を眩すのも、堅い甲で敵の牙を防ぐのも理窟は全く同じことで、詐欺の巧なものと甲の厚いものとは生存し、詐欺の拙なものと、甲の薄いものとは共に亡びる。騙し得たものと騙されなかつたものとが代々助かつて生き殘り、騙し得なかつたものと騙されたものとが飢ゑて死ぬか殺されるかするのは、恰も水が高い處から低い方へ流れるとか、天秤の一方が上れば一方が下るとかいふのと同じく、殆ど自明の理の如くに思はれる。ただ團體を造つて生活する動物では、同一團體の内の個體の間に詐欺が盛に流行したならば、その結果として協力一致が行はれず、全團體の戰鬪力が減じ、敵なる團體に對抗することが困難になつて、終に團體の維持生存ができなくなるが、團體が亡びれば、無論その中の各個體は共に滅亡を免れぬ。全生物界の中で詐欺を行つたために罰の當たるのは、かやうな場合に限ることである。