耳嚢 巻之六 人魂の事
人魂の事
或人葛西(かさい)とやらんへ釣(つり)に出しに、釣竿其外へ夥敷(おびただしく)蚋(あぶ)といへる蟲のたち集りしを、かたへにありし老叟(らうさう)のいへるは、此邊に人魂の落(おち)しならん、夫(それ)故に此蟲の多く集(あつま)りぬるといひしを、予がしれるもの、是も又拂曉(ふつぎやう)に出て釣をせしが、人魂の飛(とび)來りてあたりなる草むらの内へ落ぬ。いかなるものや落しと、其所(そこ)へ至り草などかき分け見しに、泡だちたるものありて臭氣もありしが、間もなく蚋となりて飛散りしよし。老叟のいひしも僞ならずと、かたりぬ。
□やぶちゃん注
○前項連関:死後も執心の守銭老人から、死後の人魂で軽く連関するように感じられる。
・「蚋(あぶ)」は底本のルビ。岩波のカリフォルニア大学バークレー校版では「アブ」とカタカナでルビする。アブは狭義には昆虫綱双翅(ハエ)目短角(ハエ)亜目アブ科Tabanidae に属する主に吸血性の種を指す。但し、人や地方によっては、双翅目や短角亜目に属するより広い範囲の種をアブと呼称するし、和名の中に「アブ」と名打つ種は直縫短角群(ちょくほうたんかくぐん)Orthorrhaphous 双翅目短角亜目に属する昆虫の中で単系統群である環縫短角群のハエを除外したものの総体(側系統群)、所謂、生物学的な広義のアブ)とは完全には一致しない(以上は主にウィキの「アブ」及び「直縫短角群」に拠った)。
・「老叟」は年とった男性、老翁であるが、何故か岩波のカリフォルニア大学バークレー校版では「老婆」となっている。船釣りに出たのであれば老婆は不自然であるが、「かたへにありし」という表現は、遇然に傍にいた、ともとれることから、これは河口付近で岡釣りに出たのだともとれ、それならば、この老婆の急の登場、これ、逆にホラー効果を高めるとも言える。
■やぶちゃん現代語訳
人魂の事
ある人が――葛西辺りで御座ったか――釣りに出たところ、釣竿や魚籠(びく)その外に「虻」と申す虫が夥しく集(たか)って御座った。
すると、それを見たる老爺が、ぽつりと、
「……これは……この辺りへ……人魂の落ちたに、違いない。……さればこうして、この虫がよう、集まって来るのじゃて。……」
と呟いたと申す。……
今一つの話。
私の知れる者が――この話でもまた、やはり夜明け方に出て釣りへ行った――ところが、人魂が飛び来たって、かの者の釣り致いて御座った近くの叢(くさむら)うちに落ちた。
「……さても……如何なるものの……落ちたものか?」
と、その落ちた辺りへ向かって、草なんどを掻き分け、掻き分けして見たところが……
……何やらん……
……じゅくじゅくと……
……白う泡立った……
……奇体な塊のあって……
……何とも言えぬ……
……生臭い……
……嫌(いやー)な臭気も……
……これ……漂って御座った。――
……ところが……この泡の塊のようなるもの……間もなく……
……無数の……
……これ……虻となって……
……何処(いずこ)へか……飛び散ってしもうた。――と申す。……
「……なるほど。……されば先の話で老爺の申したことも、これ、偽りにては御座らぬかのう……」
と、私と後の話をした御仁と、語り合(お)うたことで御座った。