沖を眺望する 萩原朔太郎 (「靑猫」版)
沖を眺望する
ここの海岸には草も生えない
なんといふさびしい海岸だ
かうしてしづかに浪を見てゐると
浪の上に浪がかさなり
浪の上に白い夕方の月がうかんでくるやうだ
ただひとり出でて磯馴れ松の木をながめ
空にうかべる島と船とをながめ
私はながく手足をのばして寢ころんでゐる
ながく呼べどもかへらざる幸福のかげをもとめ
沖に向つて眺望する。
[やぶちゃん注:詩集「靑猫」(大正一二(一九二三)年一月新潮社刊)より。初出の「松の木」のマルチ・キャメラ風の重合画像が整理されると同時に、直截的感覚を示す「つめたい」「さびしき」という形容詞を捨象して中間部をきりっと締めることに成功した。終曲の後ろから二行目も、初出の「幽靈」という即物的にして陳腐な換喩を抽象的でより夢幻的な「かげ」に変えたことが成功している。この「幽靈」は四音で、この四音によって、初出はここで朗読が停滞し、如何にもだらだらとした張りのないものとなっている。実際に朗読すると、この四音と二音が、詩の生死を分けているのが分かる。そして、最終章は鮮やかに斧を入れた。「遠く悲しく……眺望して居るのだ」という如何にもな内的感情の弁解口調の緩んだ時制が、禁欲的な現在形で、巖頭にあって風波に髪を靡かせている、『絶対の孤独』を直感させるところの厳しい詩人の横顔をのみクロース・アップする。]
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