沢庵宗彭「鎌倉巡禮記」 12
あくれば三日、鎌倉へおもむくに、一坂をすぐれば里あり。こゝなむむつらの浦かととへば、それとこたふ。海士の子どもの遊をみて、
四五むつらの浦のあまの子の あそふはしほのとをひかたかな
あまのすみかのあはれをみて、
波あらすむつらの浦のあまの小屋 かこふとするもまはらなりけり
[やぶちゃん注:「四五」は「よついつつ」と訓じているか。
「一坂」この部分について、少年の日、この辺りに住んだことのある私の教え子から以下の消息を貰った。場所の同定とともに、とても私の琴線に触れるものであったが故に、ここに引用させて戴く。
《引用開始》
彼が越えた『一坂』は、今の国道十六号線、瀬戸神社と六浦橋の間にあるほんの少し隆起した部分。まさに泥牛庵がある辺りが最も高いところでしょう。六浦小学校二年生の冬、初めてたった一人で、横浜駅東口の水泳教室への往復を成し遂げた時のことを思い出します。もう夜八時を回っていたはずです。勤め人たちの腰の間に挟まれながら、帰宅ラッシュの京急電車に揺られ、八景の駅から六浦橋の自宅までの道を辿る僕。遂に大人の仲間入りをしたような何かとても誇らしげな気分を、忘れることが出来ません。母に早く褒めてもらいたいと、背泳ぎの練習で疲れた足に勤め人の煙草臭い、くすんだ疲労を想像したりなどしながら、あの『一坂』を越えていったのでした……。
《引用終了》
「むつらの浦」は六浦。
……さてもこの二首、しみじみとした、それでいてランドスケープを広角で切り捕った素晴らしい嘱目吟であるように思われる。「かこふ」は「圍(囲)ふ」で、海士(あま)の苫屋の侘び住まい……小屋を囲んではいるものの、それが榾や粗朶垣の、「まはら」(疎ら)なもので、寂しいその裏(うち)が寒々と覗いていることよ、と詠んでいるのであろうが、家として囲もうとするその土地自身が、既にして荒涼とした浜伝いの「まはら」(眞原)真菅原であるよ、という謂いも効かせるているものか。いづれの歌も沢庵の墨染の衣の後ろ姿が――見える――]

